思考過多の記録
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2001年10月06日(土) 海の向こうで戦争が始まる(3)

 世界を震撼させた同時多発テロ事件から4週間近くが経ち、海のこちら側の僕達の日常は平穏に戻りつつある。事件の起きた週には連日のように特番を組み、長時間にわたってあの惨劇とその関連情報を伝え続けたテレビも、通常の番組が何事もなかったように流れている。新聞のトップ記事もあの事件の呪縛から解放され、世の中には大小様々な事件が日々起こっては忘れ去られていくのだという当たり前のことを想起させてくれている。事件発生当時は僕達の日常会話の主役だったあの事件のことを、今では殆どの人が進んでは取り上げなくなり、また芸能人のゴシップやらファッションやら不景気やらが話題の中心になっている。
 メディアが伝える海の向こう側の国・アメリカの日常も、少なくとも表面上は元に戻ろうとしているかのように見える。いくつかの断片的な情報を総合すると、実際人々は、事件に直接巻き込まれてしまった人々とその関係者を除いて、事件の前までの自分達の生活と思考のリズムを取り戻しているようだ。
 そして、まるで舞台の第1幕が第2幕に進むときのようなごく当たり前の様相で、もう一つの海の向こう側にあるアフガニスタンに対するアメリカの報復攻撃の準備が着々と進行しつつある。海のこちら側の僕達は、いつもの日常会話の話題の間に挟んで、「戦争はいつ始まるのか?」と不安とともに語り、海の向こう側のアメリカでは、人々が高揚しながら「戦争はいつ始まるのか?」と期待を込めて叫んでいる。当然標的となるもう一つの海の向こう側のアフガニスタンでは、タリバン政権もそれと無関係の庶民も、そして国境に押し寄せる難民も、「戦争はいつ始まるのか?」との恐怖に苛まれている。世界は固唾をのんでアメリカの動きを見守っているのだ。
 テロに対して軍事力で報復することが不毛なことは今更繰り返すまでもない。しかし自らが「正義」を体現していると信じて疑わないアメリカは、攻撃に向けてタリバン政権に対する国際的な包囲網を形成しつつある。そして、当然‘同盟国’である日本に対しても、相応の役割を果たすように迫ってきているのだ。今政治家や官僚達は、自衛隊がメリカの意に沿う働きができるようにするための法律を成立させるので右往左往している。それというのも、あの国の偉い人に「旗を見せろ」(=「現地に自衛隊を派遣しろ」)と圧力をかけられたからだ。慌てて派遣の方針を決めたものの、現在の法律では殆ど何も出来ない。それでまた慌てて新しい法律を作ろうとしている。ボスに‘パシリ’を言いつけられて、これで一人前の存在として認められるかも知れないと喜んでいるチンピラのようなもので、何とも滑稽で情けない話である。
 確かに日本はアメリカの同盟国ではあるが、同時にアラブ・イスラム世界の国々とも友好関係を保っている。問題のアフガニスタンに対しても経済的・技術的な援助を行っており、あの国の人々の日本に対する印象は悪くない(かった?)のだ。そういうスタンスにあった日本が、他の国々には出来ないこととして取り得た道があった。それは、外交で存在感を発揮することである。具体的には、血気にはやるアメリカをなだめ、確たる証拠があるなら、容疑者であるテロリストを国際社会が裁けるように、その身柄を平和裡に引き渡してもらえるようにタリバン政権と交渉するから、その間軍事行動は待てと説得する。一方アフガニスタンに特使を派遣し、このまま国際的に孤立するよりも、テロリストの身柄を引き渡した方が得策だ、勿論その身柄はアメリカではなく、国際的に中立な機関で裁いてもらえるように日本としても全力を尽くす用意がある、そしてその場合にはアメリカには報復攻撃をしないように、また敵対する北部同盟には戦闘を停止するように働きかけるからと、タリバンを説得する。こうして日本が間に入り、戦争を望まない国々がそれに賛同すれば、事態の平和的解決という新たな選択肢が生まれる。事件の真相解明を中途半端にしておいて、力でテロリスト集団とそれをかくまう政権を壊滅させようという方法と比べれば、どちらが‘文明社会’としてより適切な解決方法かは誰の目にも明らかだ。もし日本に本気で「外交」をしようという意思と能力があれば、決して不可能ではないシナリオである。
 ところが日本政府(特に外務省)は、長年アメリカのご機嫌を損ねないことを最優先に政策を立案し、行動してきた(たとえそのことで国際的な非難を浴びようとも、である)。だから今回も小泉‘らいおんハート’首相はいち早く「日本として出来ることは何でもする!」という極めて直情的なコメントを発表した。日本が外交で国際社会に貢献する道は、これで決定的に絶たれてしまったのである。そして、その後の対応は先にも書いたとおり殆ど‘パシリ’に終始している。アメリカの‘属国’としての日本の醜態を内外に改めて晒したわけである。政府や与党の人々は自分達が大変な努力をしていると思っているかも知れない。しかし、実際は一番楽で安易な方法を選択したに過ぎず、何も仕事をしていないに等しいといっても過言ではないのだ。
 海の向こうで起きたあの事件は、僕達の国が未だに思考停止状態に陥っていて、そのことに対して全く疑問を持っていないらしいことをはっきりと示した。テロにあうまでもなく、海のこちら側の僕達の国は既に土台から崩れかかっているのである。


hajime |MAILHomePage

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