思考過多の記録
DiaryINDEX|past|will
| 2001年09月24日(月) |
海の向こうで戦争が始まる(2) |
世界を震撼させたあのアメリカの同時多発テロ事件からもう2週間が経とうとしている。再開した株式市場で株価は下がり続け、死者・行方不明者の数は日を追うごとに増えつつある。懸命の捜索活動にも関わらず、未だにその数は確定できていない。そして、アメリカ国民のテロ組織とその首謀者に対する憎悪もまた日ごとに強まり、報復に対するボルテージも上がる一方だ。政府や軍は着々と準備を整えつつあり、もはや軍事力による報復は既定の路線となっている。 瓦礫の山と化したあの事件の現場や行方不明者の家族が涙ながらにその人の無事を祈るのをテレビで見るにつけ、アメリカ国民のやりきれない思いと絶望感、そしてやり場のない悲しみは、海のこちら側の僕達の想像を遙かに超えるものだと実感する。突然もたらされた不条理な死、そして姿の見えない敵への怒り。彼等が国を挙げて報復を叫ぶのもよく理解できる。ブッシュ政権をはじめ世界のメディアは概ね今回のテロを「自由と民主主義」「文明社会」に対する挑戦であるという主張を展開している。この大義名分と罪なき人々が殺されたことに対する悲しみと怒りが、アメリカの報復攻撃に対して表立って批判できないほどの正当性を付与している。アメリカはまさに「永遠の正義」の戦いを始めようとしているかのようだ。 しかし、待てよと思う。あのテロは本当に「自由と民主主義」や「文明社会」に対して行われた攻撃だったのだろうか。確かにそういう側面もあろう。しかしそのことを強調するのは一種の目眩ましである。犯人とそれを操ったとされるビンラディン氏が標的にしたのは、そんな抽象的な概念ではないだろう。彼等は紛れもなくアメリカ合衆国という国家を攻撃したのである。それは彼等がアメリカを憎んでいたからに他ならない。そして、それには「正当」な理由があるのだ。 僕は専門家ではないので詳細かつ正確なことは書けないが、犯人達がイスラム原理主義に突き動かされているということは、この事件がパレスチナ(アラブ)対ユダヤ(イスラエル)、イスラム的思想対西欧的価値観、そして貧困対富裕という不公平感等といった問題を抜きには語れないことを意味する。彼等過激派が「聖戦」を叫ぶ背景には、いっこうに向上しない生活水準と縮まらない経済格差、領土を巡る争い(それは殆どの場合「民族紛争」か「宗教戦争」のどちらかまたは両方の要素を含む)、それらに背を向ける大国…といった、彼等が置かれている抜け出し難い状況があるのだ。そして、そういった問題でアメリカがこれまで取ってきた態度(外交政策)は、根本的な解決に対しては消極的であるか、もしくは露骨なイスラエル支持であった(たとえ誰が見てもイスラエルに非がある場合ですら、アメリカはイスラエルの味方をした)。つまり、アラブの人達(特に一般の人々)にとって、アメリカは嫌悪・憎悪の対象になってもおかしくはない存在だったのだ。とりわけ貧困の問題は、勿論アメリカ独りの責任ではないのだが、所謂先進国がこれまでイスラム系の貧しい国々に対してその宗教を理由に経済援助等の支援の手を十分に差し伸べてこなかったのは事実である(その国で石油が出れば話は別であるが)。彼等の強い不満と敵意の源は主にそれだ。アメリカに都合のいい時には利用して、それ以外は自分達がどんな争いをしていようとお構いなし。他宗教に味方し、経済的繁栄を謳歌するアメリカ。それは彼等の目にはまさに「悪の権化」と映るであろう。そんなイスラム世界の人々の心をイスラム教原理主義過激派が捉えたとしても不思議ではない。つまり、今回のテロはアメリカの外交政策の失敗が招いたという面も結構あるということだ。 そして今またアメリカは「報復」という名の「正義」の戦争を仕掛けようとしている。テロを生み出す根本問題には目を瞑り、とにかく力で押さえつければいいという、殆ど「ならず者国家」といってもいいやり方だ。言うまでもないことだが、そんなことでテロを根絶することはできない。テロと戦うためには武力ではなく叡智が必要なのだ。ビンラディン氏の隠れ家が攻撃される模様をテレビで見て溜飲を下げることはできても、それは本質的な解決とは何の関係もないことだ。そこに新たな憎悪と敵意が生まれ、第2,第3のビンラディン氏が登場するだけの話である。 僕はテロリズムを肯定するつもりはない。勿論あの日、あの場所で犠牲になってしまった人達には何の罪もないことは言うまでもない。だが、だからといってアメリカが「正義」でテロリストが「悪」という一方的な図式がこれ程まかり通るのもどうかと思う。しかもそれをアメリカ国民が挙って支持している様を見ると、彼等は本気で問題を解決しようと思ってはいないのだと思わざるを得ない。少なくともこの問題に対する自国の責任に思いを致せば、「正義」を振りかざして「報復」するなどという安易な政策がとれるはずもないだろう。 海のこちら側から見ると、「正義」とは所詮力関係に過ぎないということがよく分かる。そんな政治力学の犠牲になったのがあの事件の被害者だともいえよう。そしてアメリカは、他国の領土でまた同じように犠牲者を生み出そうとしている。
|