思考過多の記録
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| 2001年09月07日(金) |
「メジャー」と「マイナー」 |
どんな分野にも「メジャー」と「マイナー」という区別がある。より多くの人に認知され、また多くの人の人気を獲得したものが「メジャー」(もしくはポピュラー)と言われる。音楽業界で言えば、CDの売り上げや有線でのリクエストが多い曲、及びそれを生み出したアーティストが、「メジャー」な存在ということになるだろう。 音楽でも小説でも、勿論芸術以外の分野であっても、その道で活動している人間、または活動しようと準備している人間の数は膨大である。そしておそらく殆ど全ての分野で、作品もしくは製品は、アイディアやプロトタイプの段階にとどまっているものも含めて、完全な供給過剰である。そのようなシビアな状況下において、製作者達に何よりも求められ、また事実彼等の最大の関心事となっているのは、作品の質を高めることもさることながら、それ以上に自分の作品を如何に多くの人々に「認知」してもらえるかということではないだろうか。どんなに優れた作品を作っても、それを誰も知らないのでは話にならない。まずは作者及び作品の存在を、できるだけ多くの人間に知らしめることが第一だ。そのために彼等は、どんな手段でも使う。例えば、どこかのスポンサーとタイアップするとか、CMやドラマといった万人の目に触れる可能性のあるメディアを利用するのが、最も手っ取り早く、かつ有効な方法であることは論を待たないだろう。 とはいえ、その種の媒体に載るためには、いくつかの条件をクリアしていなければならない。どの分野のものにも共通していえることは、その作品が万人に受け入れられる魅力とインパクトを持っているということである。書いてしまうと簡単なことのようだが、実際はなかなかにたいへんである。例えば、ある楽曲がCMに起用されるためには、売り込もうとする商品のイメージに合っていなければならないし(その楽曲が逆に商品のイメージを作ることもあるが)、多くの人々に不快感を与えたり、理解不能なものだったりしてはまずいだろう。なおかつ、視聴者にその商品の印象を残すために、ある一定の範囲を僅かに越えるくらいのインパクトが必要とされる。このあたりの匙加減は微妙である。「分かりやすいけれど、ありふれすぎていない」というのが「メジャー」の条件の1つである。これを満たす作品を生み出すのには、ある種の職人芸が求められる。アーティストはある場合には己を虚しくする必要に迫られるかも知れないが、そのことを苦痛に感じていては「メジャー」にはなれないのかも知れない。 こうした、いわば作られた「メジャー」(作者本人が共犯者の場合もある)の他に、‘天然’ともいうべき「メジャー」も存在する。アーティストの感性が、その時代の空気をうまく捉えている、もしくは本人にそんな意図は全くなかったのに、時代が彼の感性と共振した場合に、それが生まれる。作品や本人及びその周囲にとってこれは全く幸福なことであるが、実はこれは「マイナー」の図式とネガとポジの関係にある。すなわち「マイナー」な作品とは、作者本人に時代を捉える力が備わっていないので時代の空気と共鳴できないもの、もしくは作者本人にそもそも時代や多くの人々の求めるものに対する興味がなく、ひたすら作者自身の感性との対話において作られたものだ。いずれの場合も、作者達の多くは「分かる人間にしか、俺の作品は分からない。それでいいのだ」と嘯く。 メジャーなものの中には、単にマーケティングや売り方の勝利で、実は中身はたいしたことがないものも多い。ネームバリューだけで売れているけど、これがもし全く無名の作者によるものだったら、誰も見向きもしないだろうというやつだ。しかし、メジャーになるからには、より多くの人間を引きつけるだけの何かを持っていることも事実で、作品自体にも、また作者にもそれだけの再起とパワーを感じられるものだって結構あるのだ。反対に、「マイナー」なものの中にも、これをより多くの人の目に触れさせたら確実に「メジャー」になっていくだろうと思われるものもあれば、成る程これでは「マイナー」でも仕方がないなというものもある。多くの人には受け入れられないだろうけれど、クオリティーは高かったり、独特の魅力的な世界を持っているものも多い。だから、一概にどちらがいいなどとはいえない。要は、受け手が何をいいと感じるかであり、またそういう受け手が多いか少ないかということである。「メジャー」や「マイナー」というレッテルには、作品それ自体の実態を変化させてしまう一種の目眩まし的な効果がある。だから作り手は「メジャー」を目指して、いい意味でも悪い意味でもなりふり構わなくなっていかざるを得ないのであろう。 言葉で作品を作る僕としては、この「メジャー」「マイナー」という争いからはできれば降りたいと思う。という前に、とっくの昔に脱落しているという話もある。どう足掻いてみても、所詮は多くの人を引きつける力のない「マイナー」な存在である僕の言葉は、いずれは人知れず退場を余儀なくされることになるのであろうか。
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