思考過多の記録
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2001年08月25日(土) 勤続10年の成果

 まさかこんなに長居をする思ってもいなかったのだけれど、気が付いたら勤続10年になっていた。自分の興味・関心と全くかけ離れているわけではなかっものの、特別に就きたい仕事というわけでもなかったし、適性があるとも思っていなかった。僕が今の会社に入ったのは、人の紹介、つまり「コネ」であった。一応正規の入社試験は受けたけれど、特別優秀だったわけでもない。その当時この会社は業務の繁忙期で人員が不足していた。おりしも就職は「売り手市場」といわれていた時代である。どんな人間でもいいからとにかく確保しておきたかった会社と、どんな企業でもいいからとにかく就職しておきたい僕との利害が一致した、いわば妥協の産物としての就職だった。
 入社当初は、右も左も分からないのに、まともな研修もなしに突然実務の最前線に引っ張り出され、忙しさも手伝って、いつ辞めようかとそればかり考えていたものだ。芝居に対する思い入れも今とは違った形で強くあったので、フルタイムの仕事は邪魔に感じられたのである。生活費を稼がなければならないことは確かだが、自分のやりたいことでも何でもないことに多大な時間と労力を費やさなければならないことが、どうにも我慢できなかったのである。その上、もともと適性の大してない仕事内容だったので失敗の連続だった。そんなこんなで労働意欲も低く、課長から注意を受け、その場で辞意を伝えたこともあったくらいである。
 それでも何とかここまでやってこれたのは、ひとえに職場の人達の支えがあったからだ(別に職場の人間がこれを読んでいるからそう書いているわけではない)。またうちの会社は組合がしっかりしているので、何か問題だと思われることがあった場合は、労働条件も含めて対応してくれるシステムがある。仕事がうまくいかなかったりする場合には、その原因を当該社員の能力だけに帰するのではなく、職場環境や仕事のさせ方、上司の管理の仕方や人員配置などが適切だったかを含めて検討される雰囲気が、建前上ではあるけれど存在しているのである。とはいえ、それぞれの職場ごとに雰囲気の違いがあり、仕事のしやすい所とそうでない所がある。僕の配属された職場はみんないい人ばかりで、会社の中でも雰囲気がいい方の職場だった。だから、仕事が出来ない僕を、周りのベテラン・中堅社員の方々が何かとフォローしてくれた。随分甘えさせてもらったものである。
 そうして危なっかしいながらも、僕は何とかそれなりに格好が付くような仕事が出来るようになった。もともと好きなこと意外は勉強しようという気が全くないので、お世辞にもこの10年間でスキルアップが図れたという状態ではない。それどころか、1人分の給料に見合う働きが出来ているのか、甚だ疑問であるといわざるを得ない。それでも、僕は一緒に仕事をしている職場の人に育ててもらったと思っているし、感謝の気持ちでいっぱいである。
 今日本の企業では、アメリカ流の能力給や成果給制度を取り入れるのが流行だ。能力や成果に応じて給料を支給するという発想は、確かに分かりやすく、理に適っているように思える。だが、どんな職種であれ、仕事とは基本的には1人でするものではない。営業職のように数字がはっきり出る仕事であれ、物を売るためには、顧客のアフターケアへの対応のようなことを考えれば、他の部署の人間との連携は欠かせない。また、チームで事に当たらなければならない仕事も多いだろう。そのチームの仕事の正否が、他のチームや関連会社の協力にかかっている場合もある筈だ。その場合、どこまでをその人間(チーム)の成果とするのか、線引きは非常に難しい。自分の評価に直接つながらないのであれば、他人と連携したり協力したりすることはない。その分自分の仕事に優先的に精力を傾けよう。そう考えるのはごく自然な感情である。かくして従業員は分断され、職場の雰囲気は悪くなっていく。これでは逆に生産性の低下につながり、ひいてはその企業の業績に悪影響を与えかねない。
 成果の上げられない人間は脱落し、職場を去るのは当然という「弱肉強食」の思想は、確実に人間を疲弊させる(時には命をも奪う)。そんな状態でいい仕事が出来るとは到底思えない。また、経営者や上司の方針に異を唱えにい雰囲気が生まれ、成果が上がるかどうか確実でない仕事に対するチャレンジ精神は失われる。何よりも、周囲に大して気配りや目配りをする余裕がなくなる。こんな時代なので、そういう状況でも我慢して働き続けなければならないというのが正直なところだろう。だが、人間を大切にしない企業は必ず傾く。何故なら、そこで働いているのは生身の人間なのだ。そうであればこそ、仕事には精神面も含めた横のつながりという数字に表れない部分が、非常に大きな要素を占めるということを忘れてはならない。
 僕は所謂愛社精神というものをこれっぽっちも持っていない。自分の仕事に対する愛着や誇りもない。ただ、僕は今の職場が好きだ。決して数字には表れない部分に惹かれて、僕はこの会社で働いているのである。それがなければ、今頃はリストラ候補第一号として、肩叩きにあって呆然としていたことだろう。入りたくて入ったわけでもないのに、世の中何が幸いするか分からないものだ、というのが実はこの10年で僕が身をもって学んだ最大の成果なのである。


hajime |MAILHomePage

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