思考過多の記録
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夏休みを使ってイギリス周遊8日間の旅に行って来た。スコットランドの首都エジンバラから北イングランドの湖水地方、そして南へ下がってコッツウォルド地方を経てシェイクスピア生誕の地であるストラトフォード・アポン・エイボン、そして南イングランドのカンタベリーとリーズ城見学、そして当然首都ロンドンまで巡るという、本当に目の回るようなツアーだった。今回の旅行の行き先にイギリスを選んだのは全くの気紛れで、正直言ってヨーロッパならどこでもよかったのだが、行ってみるとここを選んで正解だったと思わせるものがあった。イギリスは数年前にロンドンに半日いたことがあるだけだったのだが、どこも自然が美しく、またエジンバラなどは町の半分が中世のままのたたずまいを残していたりする。総じてかの国は伝統を重んじるお国柄で、どこにいっても石造りの建物が並び、さすがにロンドンあたりまで行くと大都会の様相を呈するが、それでも近代的なオフィスビルなどというものは数えるほどである。 思うにこれは、イギリス人(ヨーローッパ人)に特徴的な「使えるものは使える限り使い続ける」というポリシーからきているのであろう。町を走る自家用車も年季の入ったものが多いし、バスやタクシーも最近はやりのラッピング(全面広告)車こそあるけれど、車両自体は昔のままだ。日本にいるとどうも「新しいものはよいもの」という頭があるせいか、携帯も1年前の機種でさえ随分古いもののように思えてくる。このへんは多分に石の建物に住む民族と木の建物に住む民族の感性の違いではないだろうか。石は長い年月の風雪に耐えるが、木はやがて朽ち果てる。石の家に住む民は、傷んだところを少しずつ補修しながら同じ家に住み続け、その家の形を愛するようになる。木の家に住む民は、補修して住み続けるには痛みの激しすぎる家に住み続けるのを諦め、より丈夫でより住みやすい素材の新しい家を建てることに精力を傾けることになる。新しい家は、当然前の家よりは使いやすい形になっているだろう。どちらのやり方にも長所と短所がある。非常に単純化して言えば、伝統を大切にすることは、その重みが社会全体を覆って硬直性につながり、新しいもの、便利なものを追い求めると昔ながらのものは時代遅れ・非合理的なものとして切り捨てられることになりやすい。イギリスは明らかに前者のタイプである。かつては大英帝国として世界の覇権を握っていた栄光の時代があるため、自分達の方法論に改善すべき点があることになかなか思い至らなかったのかも知れない。それが産業革命と資本主義を生み出して世界をリードしながら、所謂「英国病」に蝕まれて逆に後れをとる結果を生んだのだ。 しかし、伝統を大切にするということは、停滞だけを意味するのではない。その伝統の継承と発展のために全力を注ぐことで、その国のアイデンティティは保たれ、国民はその国の歴史や文化に誇りと愛着を持つことが出来るのだ。それは国全体の力になると同時に、その国に暮らす人間の心を豊かにする。 イギリスはそのお手本のような国だ。どこかのんびりしていて、でも威厳を感じさせる。そこがあの国の魅力である。そんなことろが、僕は好きである。できればもう少し水洗トイレの水の流れ方をよくしてくれれば文句はないのだが。
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