思考過多の記録
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2001年06月09日(土) 夢を売る人々

 芸能界は華やかな世界である。テレビ・ラジオ・雑誌にWeb等の媒体を賑わし、CDやDVDの音楽や映像の中から様々な「芸能人」(自称・他称‘アーティスト’も多数存在する)のイメージが溢れ出す。極彩色のライトが彼等を照らし、カメラは常に彼等に向けられる。レポーターの差し出すマイクの群れが彼等の言葉を拾おうと、彼等の動きに合わせて波打つ。世間的には彼等の商売は、一般人と同等か一段低い地位のものと見なされている。だが僕は彼等を軽蔑しない。何故なら、彼等は僕達大衆の欲望の集合体となり、いろいろな意味において慰み者にされることを決然と選び取り、日々その役割を完璧に演じきっている人達だからである。その意味で、彼等はまさに「夢を売る商売」人だと言っていいだろう。なんの変哲もない僕達の日常の閉塞感を、彼等の肢体は慰め、時に不満を解消してくれる。また、活力を与えてもくれるだろう。一般社会は芸能界を蔑みながらも、それを強く求めているのだ。しかし、一般社会に夢を与える芸能界は、勿論薔薇色の世界ではない。その内実は、おそらく一般社会を濃縮したようなドロドロの世界である。
 知り合いに聞いた話だが、その人の友人で子供の時から歌手になるのが夢だった女性がいたそうだ。彼女は努力して歌などを学び、念願叶って芸能界入りしたそうである。歌唱力はそこそこあったようで、夢だったCDデビューも果たした。だが、勿論それだけではやっていけない。結局彼女はタレントとしては売れなかった。それどころか、芸能界にいる間に神経を患い、引退を余儀なくされたということである。そこで何があったのか、具体的なことは分からない。しかし、芸能人というのは自分があってないようなものだという話もきく。つまり、自分の意思でやっていないにもかかわらず、恰もそれが自分の意思から出た行動・言動であるかのように、また時にはそれが自分の地の性格であるかのように振る舞わなければならなかったりするのだ。もしその人のファンといわれる人達が彼女の寂しそうな顔を望んでいれば、どんなに楽しいことがあっても、カメラが回ったらその顔をしなければならない。現在はそれがもっと巧妙になっていて、「裏の顔」まで演出しなければならなかったりする。そして、殆どの場合、それは事務所の方針であろう。事務所にとっては彼もしくは彼女は列記とした「商品」なので、一番売れそうな状態でいてもらわなければ困るわけだ。ただし、彼もしくは彼女が飽きられてしまった後の替わりの商品を調達できれば、その人の利用価値はなくなってしまう。まさに人間存在そのものを消耗品として扱うわけで、これは精神的・肉体的にボロボロにされて過労死に追いやられるサラリーマンと同じか、考えようによってはそれ以上に酷い世界だ。
 また、よくいわれることだが、芸能界には独特の「しがらみ」というものがある。所謂「あの人には逆らえない」というやつだ。それは事務所の力だったり、その芸能人自身がドンとして睨みを利かせるような存在になっていたり、いろいろなケースがある。そんな中、嫌なやつにおべっかを使ったり、実力もないのにドラマの主役に起用された若手より格下の扱いを受けたり、それを妬んだ方が今度はその若手への包囲網を敷いたり、対立している芸能人のどちらに味方する方が得なのかと風向きや顔色を読んだり、過去の異性関係を暴露されたりと、人間が荒んでくるような事態は日常茶飯事のように起きている。なおかつ、そんな状態で彼等は夢を売らなければならない。魑魅魍魎が跋扈する世界を生きていながら、ドラマや映画では普通の人間の生活を感動的に演じなければならないし、恋愛や希望の歌を元気に歌わなければならない。たとえマネージャーやプロデューサーと情事に耽る日常でも、売る側の方針ならば「清純派」のイメージが振りまかれる。そして、芸能界の住人はそれを間近で見聞きしながら、それを当たり前のこととして振る舞わなければならないのだ。こうした事例は、おそらく枚挙に暇がない。並の人間なら精神に何らかの異常を来すだろう。実際、自ら命を絶つする芸能人も結構いる。
 政治の浄化という公約を掲げて立候補した議員の候補が、裏では自分の意志に反して当選のために金を使ったりする事務所のやり方に苦悩するという芝居を見たことがある。理想と現実とのギャップは誰しも多かれ少なかれ抱えているものだが(そして、それが生きていくということなのだが)、それが甚だしいと多大なストレスがかかってくる。そして、その人間は壊れていく。それを防ぐためには、その世界からきっぱり足を洗うか、何も感じなくなるように努めて、その世界に完全に順応していく以外に道はない。その意味でも、芸能界の人々は、我々一般人とは違う感性の持ち主であり、どこかが壊れてしまっている人達だと思われる。そして、彼等をそうしてしまった大きな原因の1つは、紛れもなく僕達一般社会の側にあるのだ。
 芸能界を引退した僕の知り合いの友人は、その後病も癒えて結婚し、子供も産んで、今では幸せな家庭を築いているそうだ。それもまた彼女の夢だったそうである。


hajime |MAILHomePage

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