思考過多の記録
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| 2001年05月25日(金) |
棄てられし人々について |
ハンセン病患者の人達が国に対して賠償を求めていた裁判に対して、国(政府と国会)のこれまでの政策の誤りを認める画期的な判決が、先日熊本地裁で出された。これに対して政府は、控訴して争わないことを決定したという。政府として謝罪をする方向だとも聞く。誠に喜ばしいことである。 僕はこれまで、ハンセン病というものに対しての認識があまりなかった。学生時代にらい予防法と療養所の問題を取り上げた雑誌の記事を読んだことがあったなというのが、微かに記憶に残っている程度である。小説『砂の器』に取り上げられ映画化もされたというが、今回裁判の判決が出たことでマスコミが特集を組んで取り上げたのを見て、改めてこんなことがこの国で行われてきたのかと暗澹たる思いに囚われた。 国の責任もさることながら、僕が強く感じるのは、人間は「差別する心」をどうしても棄てることはできないということである。病気による差別ということですぐに思い当たるのは、かつて‘エイズ’と呼ばれたHIVのことである。こちらも裁判になっていて関心も高い。この病気も知られ始めたばかりの頃は、誤った知識や情報に基づく偏見が蔓延っていた。特にこの病気が性交によって感染するという偏った情報が、この状況を決定的なものにしていた。また、空気感染や接触による感染が恐れられ、患者(保菌者も含む)はまさに不可触賤民の如き扱いを受けたものである。世の人達の偏見や誤解を取り除き、患者が人間らしい生活を取り戻すための環境を整えさせるのに、患者やその支援者達はどれだけ辛い思いを強いられたことだろう。勿論、それでも問題は完全には解決していない。 この世界に「文化」なるものが生まれた太古の昔から、人間はある特定の人達に穢れ(悪いもの・不正なもの・汚れたもの・病んだもの等々)を背負わせて社会(集団=共同体)から排除するということを繰り返してきた。悪しきもののシンボルを取り除くことでその社会を‘浄化’し、その純潔や一体感を維持してきたのだが、注目すべきは、多くの場合それは上(権力)から強いられたのではなく、普通の人々がいわば自発的に、そして無意識かつ無自覚に差別を行っていたことである。ハンセン病の患者は、その病気のために無惨なまでに顔面が変形する。医学的知識を満足に持たない時代の人間が見れば、それはまさに悪魔にでも取り憑かれたような姿であり、思わず目を逸らしたくなる状況だ。そして、もしそれが伝染する病であるなら(実際は、感染力は極めて弱いそうだ)、その病気を持った人々を隔離し、社会から見えない存在にしてしまおうという意思が働いたとしても不自然ではないだろう。そして、そうした人間を生み出した血筋に対しても、「健康な」共同体側の容赦のない排除の論理が働く。それゆえに、ハンセン病患者は家族や親族から棄てられ、場合によっては自ら家族の元を離れざるを得なかったのだ。本名も名乗れず、移動の自由もない、まさにこの世から消された存在だったのである。その苦しみは、とても僕の拙い文章力では表現できないものだったに違いない。 「人間らしく生きたい」という強い思いがあったとはいえ、差別された側の人間が国(=共同体)を相手に声を上げるというのは、僕たちには想像もできないくらい勇気のいる行為であろう。もしかすると、共同体の論理に保護されて、何とかそれが破綻しないようにするために、様々な問題に蓋をしながら狡賢く生きている僕達共同体側の人間よりも、それはずっと崇高な生き方なのかもしれない。 繰り返すが、これで全てが終わったわけではない。差別する心は、僕達の中に根強く残っている。こんな文章を書いている僕だが、果たして本物のハンセン病患者の方に出会ったら、まともにその顔を見て普通の人に対するのと変わらずに話しをすることができるのか、正直な話まことに心許ない。人間は差別する生き物であり、それが人間の本性である。共同体から棄てられた人達の痛みは、残念ながら自分がその立場になってみないことには本当には分からないのだろう。けれども、そのことに気付かせてくれたということだけでも、患者さん達の行動には大きな意味があったといえよう。
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