思考過多の記録
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2001年05月21日(月) 扉の向こう側の光景

 我が国でルールがまだ確立されてもいないのに、代理母出産を行っていた産婦人科の医師のことが新聞で報道されていた。この医師は、これまでも国内では認められていない手術を独断で実施し、それが後追い的に認められるという形で、この国の生殖医療を新しい段階に導いてきた。いわば確信犯である。彼の言い分は、不妊に悩む患者が目の前に存在し、それを解決する医学的な技術があるにもかかわらず、国や仲間内(産科婦人科学会)で認められていないからといって医者としてそれを見過ごすわけにはいかない、というものだ。事実、この医師の元には子供を欲する不妊の患者が多く訪れているという。
 彼の主張(というか信念)は一見もっともだ。困った人を助けたいという医者としての正義感かも知れない。また、そのことによってこの国の生殖医療の進歩を促したいという思いもあろう(ついでに、自分の名前を広く知らしめることで、名誉欲と病院の経営の両方を満足させるという計算も当然ある筈だ)。また、実際に不妊に悩む夫婦や、赤ちゃんが欲しいという人の切実な気持ちや痛みは、未婚の男の僕には本当のところは理解できないのだろう。ということは分かりつつも、僕にはこの医師のやり方にどうしても賛成できない。というよりも、こうした生殖医療のあり方そのものに異議を唱えたいのだ。
 これについて詳しいことを書こうとするとおそらく本が1冊できるだろうし、門外漢の僕にはその力もない。遺伝子操作をはじめとするこうした技術について僕がいつも思うのは、その技術はこの先人間や社会にどんな影響を与えるのか分かって開発されたのか、ということである。一番分かりやすい例は原子力だ。そもそもナチス政権下のドイツである科学者達によって核分裂という現象が発見されたことが、全ての始まりであった。研究が進められると、これがとてつもなく大きなエネルギーを生み出すものだと分かり、軍事技術に転用されたのである。その後のことは、もう書くまでもないだろう。日本との戦争で実際に使用された原子爆弾は、一度に多くの人命を奪ったのみならず、今も後遺症に苦しむ人達を生み出した。また、東西対決の恐怖を演出し、僕達の生活を支える電力を作り出す一方、原子炉からの放射線漏れで犠牲者を生んだり、環境に大きな影響を与えてもいる。おそらく、一番最初に原子力を発見した科学者は、それが人類のその後の歴史にこれほどまでに長期にわたって多大な影響を及ぼすとは考えていなかったであろう。もしそのことに思いを致していたら、彼等はおそらくその研究を中止していたか、もしくはその成果を決して明らかにすることなく、闇に葬っていたに違いない。彼等は(少なくともごく初期に段階では)おそらく、これまでにない技術を手に入れたということで、子供のように喜んだに違いない。
 当時のアメリカが原子力の研究・開発を進めてしまったのは、ナチスドイツが先に原爆を完成させると世界がファシズム勢力の手に落ちることになり、それを何としても避けたかったという、いわば善意と正義感からであった(勿論、そこには大戦終了後の国際社会において優位を保ちたいという計算もあった筈だ)。確かにその意図するところは必ずしも間違ってはいない。しかし、それが使われた結果は悲惨なものだった。原爆開発計画に関わったアインシュタインは後にこれを悔いて、平和運動に関わったりしているが、一度生み出された技術を止めることは当然できなかった。
 生殖医療は多くの問題を孕む。養子縁組や子連れ再婚といった目に見える要因を除けば、これまで自明だった家族の「血」のつながりが破壊されるからだ。そこでは、社会的・法的な親と生物学的な親とが一致しないという事態が起きる。それが親子関係や代理母と本当の(?)母親との人間関係、そしてそうやって生み出された子供自身にどんな影響を与えるのか。そして、それが地域や社会の枠組みを変えてしまうことはないのか。検証しなければならない問題はあまりにも多い。それを、技術があるのだからといって、議論を待たず、十分な事後のケアの体制もない中で実施するというのは、あまりにも乱暴な話ではないか。この医者は、自分が困っている人達に命を与える救世主だとでも思っているのかも知れない。だから他人の議論には耳も貸さないのだ。しかし、代理母から生まれてきた子供や、それを育てていく法的な両親、その事実を抱えて生きる代理母といった人達の長い人生に、彼がしたことは確実に影を落とすだろう。その全てに責任が持てるのだろうか。それは医療の範疇ではないということではすまされない。医療は社会から切り離されて存在するわけではないのだから。
 人類はこれまで、様々な科学的な発見をして、それを元にして技術を開発してきた。科学の成果としてそれは喧伝されているけれど、一度生まれてしまった技術は、開発者達の意図を超えて一人歩きを始め、時には暴走する。我々は無邪気な科学者達による技術の進歩を止めることはできない。それで人類は豊かになってきたという事実もある。ただ、新しい技術が生まれれば、僕達は新しい時代の扉を開くことになる。そして、二度と後戻りはできない。たとえその扉の向こう側に広がる光景がどんなものであっても、僕達はそこへ向かって歩み出すしかないのである。


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