思考過多の記録
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ライオン頭のあの‘変人’総理は、何やら尋常ではない国民的人気を獲得したようである。マスコミ各社の世論調査では、軒並み8〜9割の支持率が出ている。ある新聞社で言えば、これは内閣支持率としては細川内閣を抜いて歴代1位だそうである。前の‘失言’総理が一桁代の支持率だったので、なおさらその差が際だつ。もっとも、前の総理が酷すぎたので、後は誰がなってもそれなりによく見えるのは当然で、内閣発足直後はある程度の高い支持率になるのはある程度予想はついていた。だが、この結果はおおかたの政治評論家やマスコミの、そして僕自身の予想を遙かに超えたものだった。政治家が、とりわけ国のリーダーともいうべき総理大臣が国民から高い支持を受けるということは、もとより望ましいことである。だが、今のこの状態は、はっきり言って異常だ。僕には、この国の人々が正しいジャッジをしているとは到底思えない。 確かに、総理があの人になって、国会の雰囲気はある程度変わったように見える。これまでのように、質問する側もされる側も原稿やメモを読むだけの、緊張感の欠如した茶番劇のような状況はほんの少しだけ改善され、自分の言葉で語る政治家が増えたようにも見受けられる。それはそれで大切なことだ。だが、問題は政策の中身であり、その具体的な実行の手順である。この内閣は「構造改革なくして景気回復なし」というスローガンを掲げている。それは国民的には大きくアピールしたし、僕自身も大筋では賛成だ。だが、それがどんな政策となって現れ、それが僕たちの生活にどんな影響を与えるのか、またどんな法案を用意し、どのくらいの期間で、どんな方法でそれを実行に移すのかといったことについては、まだ殆ど明らかにされていない。また、内閣が替わり、大臣の多くが交代したにもかかわらず、官僚が替わっていないために政策の転換がなされていない問題もあるようだ。外務省の機密費問題や、農水省管轄の諫早湾干拓事業を巡る問題等がそれだ。しかし、あの総理が国会で構造改革について熱弁を振るうと、それをテレビで見ている国民は何かしらが変わるのではないかとの期待を抱いてしまう。そしていつか、テレビであの総理が語ったり、新聞や雑誌に総理の写真やコメントが踊っていたりするのを見ただけで、実際に何かが変わりつつあるのだという幻想を抱くようになるのである。総理がいう「構造改革」を確実に実行するためには、既得権益を握っている勢力と戦わなければならない。その最大のものは、言うまでもなく彼が総裁を務める自民党である。あの政党がこれまでやってきたこと、またあの政党が存在し続け得られる仕組みを踏まえれば、総理が自民党との戦いを制するのは容易なことではないだろう。あの政党が根本から変わり、彼の政策を受け入れることはおそらくあり得ない。何故なら、それは自民党自体の否定に他ならないからだ。にもかかわらず、総理が「自民党はね、話せば分かるんですよ」と言うのを見ると、国民は「ああ、そうなのかな」と思ってしまうのだ(勿論、そんな訳はない)。彼は多分、従来の自民党的な発想ややり方ではもうだめだと本気で思っていると思う。だが、彼の人気が上がれば上がるほど、それが自民党の人気にもつながって(短絡的である)選挙で議席が増え、結果的に「自民党的なるもの」を延命させる結果になるのだ。端的に言って、彼は国民向けの目眩ましになっているのである。 この状態は実に始末が悪い。しかも、圧倒的人気の前に、本来チェック機能を果たすべき野党やメディアはたじろいでいる。国会で総理に批判的な質問をした野党第一党の幹事長の下には、その模様をテレビで見ていた国民からの批判や苦情の電話・メールが殺到したそうだ。これは前代未聞の事態である。どうも国民の意識が極端になり、「大嫌い」か「大好き」のどちらかで、「大好き」なものには批判も許さないという、コギャルのように感覚的になってしまっているようだ。‘変人’はこういう国民の意識にうまくマッチし、のみならずそれを煽る存在なのだ。とにかく僕達は、もっと冷静になった方がよい。彼はまだ何もしていないし、本当に国民のためになる政策を実行する保証もないのだ。X JAPANが好きだという総理は、確かにこれまでの政治家とは違うタイプだ。だが、そんな彼が言うからといって、どんな政策でも「それいいかも」と感覚的に判断するのはやめよう。その積み重ねの先には、思わぬ結末が待ち受けているかもしれない。
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