思考過多の記録
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2001年04月28日(土) チーズはどこへ消えた!?〜思考停止のすすめ〜

 以前この日記で「忙しい日常は深い思考を妨げる」という趣旨の文章を書いたが、そのいい見本とも言うべき書物に出会った。今ベストセラーとなっている「チーズはどこに消えた」がそれである。この本がビジネス書として広く読まれているというのも頷ける。何故ならこの本は、読者に「思考」を強要しない。むしろ読者を「思考停止」状態に陥らせる。そう、これは「何も考えさせない」書物なのだ。
 物語の構造自体は、酷く単純である。迷路の中にある‘チーズステーション’なる場所でチーズを食べて暮らす2匹のネズミと2人の小人。チーズが少なくなり、かつ古くなってきたことに気付いたネズミ達はそこを離れて、嗅覚を頼りに試行錯誤を繰り返しながらついに全く新しいチーズステーションを探し当てる。一方、チーズの量が減っていることに気付かなかった小人達は、ある日そこが空っぽになったのを見て愕然とする。しかし、すぐに行動を起こそうとはせず、嘆いたり事態を分析したりして何日も過ごすが、現状は変わらない。そんなある日、1人の小人はついに意を決してその場所を離れ、新しいチーズステーションを探すために迷路へと旅立つ。そして、途中何度も恐怖に負けそうになったり、挫けそうになりながらも、「自分が新しいチーズを手にいれたところを思い浮かべる」といったイメージトレーニングをするなどして勇気を取り戻して前進し(その途中途中で、彼は迷路の壁に思いついた一言、例えば「恐怖を乗り越えれば楽な気持ちになる」といったフレーズを書き付けていく)、ついにネズミ達のいる新しいチーズステーションに辿り着くのだった。−「変化を恐れず、積極的にそれを受け入れて、《チーズとともに前進しよう》」これがこの物語のメッセージの全てだ。また、ご丁寧にもこの物語を語る人物と、それを聞いた彼の学生時代の同級生達との‘ディスカッション’のシーンが、本編の前後に挿入されている。ここでは様々な境遇の人達、例えば事業に失敗したり、ビジネスがうまくいかなかったり、家庭に問題があったりする人達が、それぞれこの物語から何を学び、どういう態度を取るべきだったのかを語っている。奇妙なことにといおうか当然のようにといおうか、この物語に異を唱える人物は1人もいない。誰もが「この物語を早く知っておけばよかった」と言う。そしてまた、誰もが「自分は変化を恐れて空になったチーズステーションに留まった小人のようだったから失敗したのだ」と気付かされる。そして、これまた全員が「ネズミ達や行動した小人のように、いち早く変化に対応して、行動を起こさなければならない」という結論に達し、生き生きとした気分で分かれる。最後の最後に、この物語の語り手の人物は、「ぜひ、他の人にも話してあげてほしいな」とさえ言うのだ。
 この本に書かれている考え方の全てを僕は否定しない。こんなことはもう言い古されており、あまりのひねりのなさに思わず笑ってしまう。だが、笑えないと思うのは、ここでは「事態を分析したり、嘆いたり、異議を唱えること=変化を受け入れないこと=悪」という図式が貫かれていることだ。この物語で最も賞賛されているのはネズミなのである。何も余計なことは考えず、事態(時代)の変化を感じ取ったら、いち早くそれに適応し、(この本で小人が壁に書いたいくつかのキーフレーズに則って)行動することによってしか成功は約束されないと説くこの本の思想を敷衍すれば、現状を追認し、大勢に順応する生き方こそベストということになる。そこには、何故自分達は迷路の中に閉じこめられているのかとか、自分達からチーズを奪ったものは何かといった問いは存在しない。また、チーズ以外の物を求めてこの迷路から抜け出すとか、迷路という「世界」そのものを変革しようといった思想も排除される。まさに‘考える葦’としての人間性を捨てたネズミのような生き方が推奨されている。言うまでもないことだが、これは為政者・経営者(=支配者)にとってまことに都合のいい人間像である。この本は僕達被支配者・労働者にとっての「愚民の薦め」なのである。
 変化を恐れてはいけない。だが、変化の中身を見極め、時には異を唱えたり別の道を探ったりすることも必要なのではないか。そのためには、立ち止まって考えることも大切である。脚力だけでは生き抜くことができないし、スピードばかり重視していると、物事の表面しか見ることができず、深層や裏の構造をとらえることができない。それが後になって致命傷になることもあるのだ。
 良書といわれるものは、読者がその本の枠を越えて想像や思考を発展させることができる。しかしこの本は、徹頭徹尾思考の機会を奪い、読者を本の枠の中に閉じこめる。何しろ、「迷路」「チーズ」とは何の隠喩なのかを最初に解説してしまったりするのだ。「真理は単純なもので、深く考えるとかえってそれを見失う」とこの本は言いたいのだろう。よしんばそうだとしても、考えることは決して不毛でもマイナスでもない。その意味でも、人々の思考力を衰弱させるようなこの本の思想を、僕は受け入れることはできない。そして、この本が世界の多くの国で(勿論この国でも)ベストセラーになっているという事実に、思考過多の僕は暗澹たる思いがするのだ。おそらくこの本は、変化に怯える多くの人達に安心を与える「麻薬」として受け入れられている。だが、その安心は所詮幻覚である。幻覚に現実を変える力がないのは、今更言うまでもないだろう。


hajime |MAILHomePage

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