思考過多の記録
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2001年04月17日(火) 裸の王様達

 かの保守系政権政党の総裁にして悪名高きあの総理大臣が辞める運びとなり、総裁選挙が始まっている。数年前に選挙に負けて総理大臣を辞めた筈の人も含めて4人が立候補している。選挙権を持っているわけではないのだが、これで事実上総理大臣が決まってしまう(前から思っているのだが、この仕組み自体何とかならないものだろうか)ので、注目しないわけにはいかない。メディアも連日大きく取り上げていて、各候補がテレビで自分の信条(心情?)や政策らしきものを語っている。さながらその政党のキャンペーンのようだ。
 政策の中身についてはここではふれないことにする。ブラウン管越しに彼等を見ていて感じるのは、その品性のなさである。その姿は、およそ国のリーダーの風格というものからは程遠い。それを一番端的に現しているのが、彼等に概ね共通する、人を見下したような横柄な態度である。ニュース番組にゲスト出演して、まるで人を諭すように自分自身の意見を蕩々と述べ、それに対してキャスターや解説者が少しでも意地の悪い質問でもしようものなら(それはジャーナリストとして当然の態度なのだが)、もう大変である。「私達に対して無礼だ」と言い、「政治のプロでもない者が、分かったような口を利くな」というあからさまな蔑みの態度を見せるかと思えば、居丈高に怒鳴り散らし、「プロデューサーは誰だ!」などというとんでもない発言をオンエアーでしてしまう無神経な候補者もいた。総じて、彼等の発言や態度からは「俺たちはお前達なんかとは違う人間なんだ」という優越感のようなものが滲み出ていた。
 彼等にこういう態度と意識を植え付けたのは何だろうか。言うまでもなく、それは彼等の「国会議員」という特権的な地位である。しかも、彼等の多くは政権政党の派閥のボスクラスだ。現政権で閣僚を務めている人もいるし、党の役員を務めている人もいる。その意味で、彼等は紛れもなく権力者である。吹けば飛ぶような存在である一般国民の僕とは、当たり前だがとても比べものにならない。だが、彼等は一つ重大かつ根本的な勘違いをしている。それは、彼等の権力は天から授かったわけでも何でもなく、一人一人は吹けば飛ぶような存在である一般国民の付託によっているということだ。代議士のことを「選良」ともいう。これは国民(有権者)によって選ばれた人間という意味だ。国民が自分たちの代表を選び、その代表が集まって議会を構成する。当然その議会は国民の意思を代表し、国民の幸福の実現のために行動する。法案を審議し、政策を決め、異なる様々な利害を調整する。そういったことを円滑に行うために、彼等には大きな権力が与えられているのだ。あの政党の総裁候補者をはじめとして、メディアに登場する国会議員を見ていると、どうもこういった議会制民主主義のイロハが分かっていないのではないかと思われる輩が多いように僕には思える。‘選ばれた’ということの意味を完全にはき違えた、まさに勘違い野郎だ。‘一般の人達’と違う特別な地位にいる自分は、何も知らない‘一般の人達’の上に立って国家を支え、発展させるために先頭に立たなければならない。‘一般の人達’は、黙って‘選ばれた’自分達に従っていればいい。何故なら、‘一般の人達’は「何も知らず、何もできない」存在なのだから。こうした意識を持っているように見える。だから彼等は、批判されることを極度に嫌う。また、彼等は‘一般の人達’が自分たちを通さずに直接意思表示をすること(住民投票など)に対して、強い拒否反応を示す。何しろ、‘選ばれた’自分達はいつでも正しいのである。時には自分に与えられ権力を使って、批判者の口を塞ごうとする(「プロデューサーは誰だ!」)。政治家のこうしたメンタリティは、官僚や教師のそれと似ている。彼等が地元の有権者から「先生」と呼ばれていることが、図らずもそれを物語っているようだ。
 自分達こそが「選ばれし者」であると思い込んでいる輩は、本当に質が悪い。だが、「選ばれた」という特権意識と権力をかさに威張り腐っている彼等は、もはや裸の王様だ。何故なら、‘何も知らない’筈の‘一般の人々’は、とっくの昔にカラクリを見抜いている。ニュース番組でキャスターに暴言を吐いたりすることは、国民に向かって自分の醜さを喧伝することと同じだと分かっていないのは、彼等自身だけだ。自分の選挙区の人間だけにいい顔をして、自分の派閥の面倒を見ていれば政治家が務まった時代は、もはや過去のものだ。‘何も知らない一般の人達’には、彼等を「選ばない」という選択肢が残されている。いつか、裸の王様達から有権者は王冠を奪うだろう。政治家に自分達は「王様」などではないと気付かせるには、もはやそれしか手がないようである。


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