思考過多の記録
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| 2001年03月23日(金) |
ある‘日常’の終わり |
先週末になるが、定年まで数年を残して退職することになった父親の職場の後片付けにかり出された。僕の父の職場は大学である。その仕事場である小さな研究室には、仕事に使われた大量の書籍の類がある。それをそっくり運び出さなければならないのだ。今月になって慌てて片付け始めたということで、僕と母親が足を踏み入れてみると、まだかなりの本が未整理のままいくつかのスチールの本棚に並んでいた。これを片っ端から紐で括り、運び出していく。半日で本棚は空になった。机や床の上には、運び切れなかった本や雑誌等の資料類が入れられた袋や段ボールが雑然と置かれている。そして、もう使う主のいなくなった湯飲みやコップ、小さな電気湯沸かしポットが、部屋の片隅に所在なげに残されていた。おそらく、この部屋に出入りしていたゼミの学生達が代々使っていたものであろう。それだけが、この部屋に存在した日常の痕跡をかろうじてとどめていた。 こういう光景を、僕は何度目にしてきたことだろう。例えば、部屋の家具の上に並べられたあちこちの土地の土産物だった人形や、本棚に雑然と入れられた本、収納ケースに入りきらずに棚の上に積まれているCD。こういった物達は、日常の積み重ねの中で自然と定位置が決められ、恰もずっと以前からそこに存在していて、これからも半永久的にそこにあり続けるように思われる。いつも変わることのない日常の‘風景’は、それがあまりにも身近であるが故に、殆ど空気のように意識しない(できない)存在になっている。しかし、例えば部屋の模様替えや引っ越しなどで物を動かし、いつもそこにあった筈の物がなくなると、僕達は初めてそこに‘風景’の一部を構成していたもの(あるいはそれらの集合体としての「風景」そのもの)をはっきりと意識することになるのだ。そしていうまでもないことだが、その時点で既にそれは失われているのである。 ‘風景’の喪失は、その風景が存在した‘日常’の時間の喪失をも意味している。僕達はその時、ずっと以前から変わることなくあり続け、未来永劫同じように流れ続けると思われた‘日常’の時間の断絶を意識する。それが幸せなものであれ、耐え難いものであれ、あるいはまた退屈なものであれ、全ての‘日常’はいつか必ず終わりを告げる運命にある。僕の父のように、それが「定年」という外的な要因で訪れる場合もあるし、自らの意思で日常の幕を引く場合もあろう。不慮の事故等で突然に終わることもあるだろう。また、長い年月をかけて徐々に変化していく日常もあるかも知れない。そして、時間が後戻りしない限り、人が生きていくということは、こうしていくつもの‘日常’の時間の終わりに立ち会うということなのだ。年齢を重ね、体力と気力が衰え、社会の第一線から退くと、人は少しずつ‘日常’の範囲を狭めていく。退職で「職場」の日常が消え、子供が独立すれば「親」としての日常が消えるという具合だ。勿論、最後の日常の終わりは「死」ということになる。‘日常’を失い、空にされつつある夕日が正面から差し込む研究室で、僕はぼんやりとそんなことを考えていた。 この研究室には、あの湯飲みやコップを使い、あのポットで沸かしたお湯でお茶を飲んでいた、父親と学生達の‘日常’が確かに存在していた。それがどんなに些細な、取り立てて言うほどのこともないありふれた時間であっても、たとえ湯飲みやポットが捨てられ、そこでその‘日常’を過ごしていた全員の記憶から忘れ去られても、その‘日常’の時間はそこに流れていた事実は消えない。そして、その時間を過ごした人達の中に、何らかの痕跡を残している筈なのである。 僕もまた、そうやっていくつもの‘日常’を過ごしてきた。現在の‘日常’の雑事の中で忘れていたその時間の流れと、その「風景」の一つ一つを、そこで出会った人達の顔と一緒に、僕は今ゆっくりと思い出している。そして僕は、これからまたいくつの‘日常’の風景と出会えるのだろうかと考えている。 僕の父が、運び出すために縛っていた本の紐を解き、また段ボール箱から本を取り出して新しい置き場所を決める時、父の新しい‘日常’が始まる。そして、空になった父の研究室だった部屋で、この春誰かが新しい‘日常’を始める筈である。
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