手段はたびたび目的となる。 例えば救われるための宗教が、目的となってしまう。 大事なことをわかりやすく話すことをしようとしていたら、いつの間にか、わかりやすく話すこと自体が目的になり、大事なことはどうでもよくなる。 かわいい服を着て魅力を引き出そうとしていたのに、気がつくとかわいい服を着ていないから魅力がないように思えてしまう。 年金の問題を考えようとしていたのに、年金の問題をうまく扱うことが目的になる。 生きるために飛行機に乗っていたのに、飛行機のために死んでもいいような気がしてくる。 渋谷のユーロスペースにレイトショーを見に行く。「テディベアのルドヴィック」という素朴な、ぬいぐるみのアニメーション映画なのだけれど、またもや一人で泣いてしまった。なんだか、あまりにもほのぼのとしてて、きゅんとしちゃうから。人と人との出会いって、こうだよ、とか、子供のころ、こう思ってた、とか、そうゆうのがぎゅっと詰まってる。 上映の前に、はなと中野裕通の対談があって、それも良かった。はな、しぐさも何もかも可愛い。字幕の訳もしたらしい。前向きで楽しそうで、素敵な人だな、と思う。 あと、パソコン買った。中古というか、展示されていたもので、99000円だった。質問したらまた訳が分からなくなり、むかむかしてきた。私はこうしてホームページなんて作っていても、インターネットがどうやってできるかも知らないし、パソコンのことは、用語なども驚くほど知らない。 家のパソコンは2台あって(私のは今までなかった)、母が管理している。彼女は昔から配線などがすきで、何でも嬉々としてやっている。母に質問すると、長々と説明されて余計にわからないので、聞かない。 それでそのうちの1台が壊れたので、母がメールアドレスを変えていた。私も変えてもらった。これに関しても私はよくわからなかった。 パソコンを買ったことは家族にも誰にも教えていない。使えるかわからない。
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