twitterも書いております。
『ミライの源氏物語』のAmazonページはこちらです。
『微炭酸ニッキ』  山崎ナオコーラ

(新たなご依頼をいただける場合、あるいは、既刊の作品についてご質問をいただく場合も、
拙著の刊行がある出版社さん宛てにメールにてご連絡をいただけませんでしょうか?
転送してもらえますので、私から返信します)。

ホタル
2004年04月11日(日)

マレーシア旅行に行ったとき、ホタルを見たい、と考えた。
ある地方でホタルを見られるのである。
ただ、これは「歩き方」にもちょっとしか載っていないし、他の情報ツールでは皆無で、地図もわからない。
女一人でさびれた地方に行くことや、夜中になること、ホテルがないっぽいこと、などいろいろ考えると難しいように思った。
「ホタルを見に行こう」と思い始めた日から何日間か、夜中に不安で上手く眠れなくなったくらいだ。

行こうと考えていた日に、その地方に行くバスが出るバス停に向かった。
タイムテーブルはないのでいつ来るかはわからない。
座って待っているうちに何だか気持ちが変になって来た。
バスが来なければいい、と思い始めたのだ。

どうやら私は、もうホタルなんて見たいとは思っていないような気がする。

でも出きるだけ待ちたい、とも思っているようだ。

大げさに言うと「自分は行けるところまでは行って、やるだけのことはやったのだと思いたかった」という感じだ。

ホタルを見に行きたいと思っているかどうかはどうでもよく、止めたのは向こうだと思いたい、ということだろうか。

自分は頑張ったが状況で駄目になった、と考えると楽だ。
自分はこう思うが、相手はこう思わないのだ、と人はシンプルに受け止めたがる。
自分の中だって複雑なのに。止めるというのは勇気のいる面倒なことだから、自分では決めないものだ。今までのさまざまなことを考えてみても、止めるときは「自分が思うから」ではなく「状況が……」「誰々が……」という理由にしてしまっている。

何事も人は事が自然におさまってゆくのを見守るだけで過ごそうとする。

小心者は言い訳を探し、自分を積極性のない人間や、悪者にはしない。
自分が決めたことを「相手が決めたのだ」と考えるのは簡単なことである。

迷っているときも、既に決めているのに、自然の成り行きに任せて、他の力を利用しようとする。

人は、自分の心と向き合うのに疲れてきたとき、「あんたはどう思うの?」と言い勝ちだ。

「私はやるだけのことはやったわ。あなたが終わらせたのよ」と考えたいのだろう。


結局ホタルは見に行かなかった。




BACK   NEXT
目次ページ