Niseko-Rossy Pi-Pikoe Review
DiaryINDEXpastwill


2010年03月23日(火) あがた森魚インタビュー (2001年5月、アウトゼア誌での取材) その1





あがた森魚インタビュー (2001年5月、アウトゼア誌での取材)


ベスト盤が出るというのをきいて驚いたんですけど。そういう反応はありましたか?

「うーん、いろいろ。出るのが驚きというよりは、ベスト盤といっても、どうまとめるんだろう、しかも1枚になるのか、ということで、聴いてみたら、非常にこの30年間が思ったよりもまとまりがあって聴けたのでびっくりした、という意見は結構あったね。」

ええ。

「30年って長かったですか?という質問もあったけども、束の間だったとも言えるし、やっぱり長いんだよね、はっきり言って。それと同時に、どれがいいということではないんだけど、いろんなことをぼくはやってきちゃったから。時期時期において全然違うことやっているから、確かに1枚になったときに、こう統一性が出るのかなあと。」

あがたさんは常にアルバムを出すごとに、その前のアルバムから違う方向へ向かうベクトルのエネルギーがあって、次々と新しい作品を出されてきた。それぞれが違う世界で。でも、ベスト盤を聴いてみるとなんか統一感がありました。ぼくがあがたさんの音楽を聴き始めたのは80年代に入ってからで、すでにヴァージンVSをやっていて、遡って「乗物図鑑」を聴きました。そしてプラネット・アーベントが始まったんですが。

「83年くらいだね、プラネット・アーベントは。」

プラネット・アーベントはどんなふうに始まったんですか?コンセプトとか。

「うーん。そうだなあ。平たく言うと、たとえばあがたの音楽を、シンプルなミュージシャンとしてじゃなくて、まあ、ぼくは歌い手なんだけども、同時に映画作ったり、演劇的な要素があったり文学的な要素があったり、絵画的な要素があったりと、音楽を外側から攻めているというか。外側のイメージから音楽を創っている要素がけっこう強いほうだよね。だから、プレイヤーが詞と曲を作り歌うというのではなくて、言葉なりイメージをどうやって音楽に集約するかということでやってきた。そういう才能とか資質であるあがたであるわけだから、それは良し悪しいろいろあるんだけども、そうするとたとえばちょっとステージに凝りたいとか、レコーディングひとつにしてもそうだけども、やっぱり実質お金もかかるし、労力もかかるし。といったところで、たまたまプラネというのは、何かの弾みで、池袋のサンシャイン・プラネタリウムで客の動員のことも含めて、落語をやったり、クラシックの弦楽四重奏をやったりとかしていたんですよ。」

プラネタリウムの中で。
「そう。それとかフォーク歌手、一番最初は友部(正人)さんだったと思うけど。フォークの弾き語りなんかにも企画が呼びかけていたりしたんです。友部くんがそういうことをやったときいて、あ、これはもうぼくがやらないと、と。」

いろいろ動かせますよね。

「うん。だから、そういう意味では、たまたま。こないだも、ちょうど閉館してしまったけど渋谷の五島プラネタリウム、あそこなんか一番最初やりたかったんだけどね。でもプラネタリウムというのはある種学術施設だからね。なかなか当時は貸し出さなかったし。池袋のサンシャイン・プラネタリウムも、当初はいろいろ制約があって。」

それは時間的にですか?

「枝葉の話なんだけど、通常の営業プログラムは絶対に削れないんですね。最終回が6時なら6時に終わって、6時から7時までに全部セッティングし直して7時半開演とか。前の日から仕込んだりいろいろたいへんなんだけど。時間の制約としては、終わる時間も決まっているとかね。あと、もうひとつは、たとえば通常の営業で観に来るお客さんに見せる星座の出しかたとか。まわりにいろんなスライドをデザイン的に投影されるものでも、これは著作権があるからとか、これは通常営業だけのためのものだとか、で、これは外からの企画にはお貸しできないとか。たとえば、イメージに合わせて天空の動きをこうしてほしい、逆転してほしい、と言うと、それは学術的にウソだからできないとか(笑)。」

フィクションには加担できないわけですね。

「ええ。いろいろ制約があったんですけども。考えてみると、それこそ20年近く。やっていない期間もあったけども、当時からの方もスタッフに残っておられて、いちおう、まあ。プラネット・アーベントは毎回満員になるんですね。それと、やっぱり、あがたがうってつけというのもあるんだろうけど、お客さんが帰って行かれるときに「ああ、良かったねえ」とか「あがた森魚とプラネタリウムのマッチングが良かった」とか「内容的にも感動した」とか声が、エレベーターで降りて行くお客さんの声を、プラネタリウムのスタッフの方が耳にして、それを伝えてくれるんです。「皆さん、感動してました」と。そんなことがあって、だんだん。いちおう規約はあるんだけども、それでも毎年クリスマスには楽しみにして下さる。ほんとはね、夏もやりたいんですけどね。いかんせん、現場の舞台監督さんとかうちのスタッフとかものすごく大変で。」

夏も観たいです(笑)。97年に再開したときには、もう嬉しくて心臓が痛くなりました。プラネタリウムという場所のほかに演ってみたい空間って考えたことありますか?

「ええ。いろいろなことは考えますね。よくね、プラネタリウムを見ると、ほんとうの星空の下でやってみたいよね、とか。何年か前にぼくの所属していた社長が、千葉の銚子の犬望崎の出身で、そこに360度見える展望台みたいみたいな喫茶店があって。そこでやったり。今度は屋外でやろうとか、そんな企画を出してくれたことがありますね。あと、たとえば…、いかにもだから、思いながらも成就していないことのひとつに、たとえば現在使われていても廃校になっていてもいいんだけど、全国にある昔ながらの木造校舎の小学校をまわるツアーのコンサートをやりたいな、とか。たとえば、荒俣宏さんと一緒に行って、対談しつつそこでライブをやり、ライブを録り、その小学校や中学校の校歌を必ず歌ってみる、とか。そういうのをCDにしたら楽しいんじゃないか、とか。」

それは楽しそうですね。

「それとか、昔「日本少年」を作った頃は、豪華客船に乗って、ライブをやりつつ世界をまわるツアーというのは楽しいんじゃないか、とか。たとえば捕鯨船に乗って、そこで波の音を録って、漁をしている時の現実音を録って聴いて、そこで何か発想した曲をそこで歌っちゃってもいい。じゃあそれをどうやって録ったらいいか、とか。なんか、そういう遊び心のある、それはライブなのかなあ。ねぇ、客船だったらライブとかにできるけど。」

ええ。

「それとか、野外でやってみたら面白いなと思ったのは、今回のベスト盤にも入っている稲垣足穂さんの「スターカッスル星の夜の爆発」だけども。これもまた千葉県の話だけど、鋸南町というところがあって、鋸というのはのこぎりなんだけども、のこぎり山の南側だから鋸南町というんだけども。ヴァージンVSの頃に、当時のファンクラブは結構活発で、一度「のこぎり山ツアー」というのをやったんですよ。バスを借り切って。面白かったですよ。みんなでバスの中で自己紹介して。歌うたうひとは歌うたったりとかさあ。それでのこぎり山へ行って、ロープウェイで登って、ほんとね、あそこは岩とか切り出しているから直線で切ったような谷間がいっぱいあるんですよ。ここにね、ステージ作って、ライティングとか仕込んで、そういう「スターカッスル星の夜の爆発」的なロック・オペラやると楽しいなあとかね。それはぼくひとりだけじゃなくて、いろんなロック・ミュージシャンとシナリオ作ってやったら面白いんじゃないか、とかね。」

うわあ、観たいなあ。

「そういうことは時々思うんだけども、現実問題、まずお金が追いつかないだろうし、やるともうそれからのお付き合いが大変になるだろうし。映画を作るのと一緒かもしれない。」

さっきの木造校舎の話でも、それこそJRと組んで、SLが走っているような町をツアーするとか。

「うーん。、鶏が先か卵が先か、なんだけども。あがた森魚で、1回企画して、まあ千人単位とか一万人単位とかでお客さんが来るんであれば。ま、一万人単位はおおげさでも、ほんと二・三千人単位でも客が動員できるんだったら…。」

いや、アリだと思いますけどね。

「うん、ちょっと、ちゃんとがんばって企画すればね(笑)。」

あがたさんがやられている函館の映画祭の企画のほうは何年目ですか。

「始めたのは95年だから、今年で7年目になりますね。」

続きそうですか。

「続きますよ。ぼくはやめることはないけども、死んだあとも続くんじゃなかなあ(笑)。」

今年の映画祭はどんなことを。

「今年はね、篠原哲雄という映画監督、彼は93年に「草の上の仕事」を撮って、去年は「死者の学園祭」という深田恭子さんが主演された映画を撮って。今や大御所、というとちょっとおおげさだけど。今年は「蝶の住む家」という朝丘ルリ子さんが主演の、これまた大作なんだけど、こないだ総合試写があったばっかり。この篠原さんを監督に迎えて、シナリオを募集していたものを映画化するんです。いちおう夏にロケということになっています。ぎりぎり9月のあたまぐらいからになるかな。そういう映画を作ります。
 ぼくは、ここのところ「港のロキシー」とか「オートバイ少女」とか映画を作っているけども。自分が監督して映画を作ると、労力的にも金銭的にもすごくリスキーで。今回はぼく自身は、もちろん製作のほうには携わるんですけども、音楽ももちろんやりたいなと思っていますが、自分が演出するということじゃなくて、後ろからサポートする形になります。まあ、うちの映画祭に間に合わせるような形で完成させたらなあ、と思っています。」

こないだは北海道の美唄で栗コーダーカルテットと出かけていらっしゃたとか。『闇を掘る』という映画にあがたさんは音楽を付けられて。

「藤本さんが6年ほど前から夕張を中心に、道内のいろんな炭坑をドキュメンタリーにした感じで。ドキュメンタリーといっても、どんどん閉山していくから、その閉山後の炭坑に働いた人たちの追跡ドキュメント的な感じなんですけどね。たまたま藤本監督のほうから、映画撮るんで音楽やってくれと言われて、引き受けて。それで誰とやるといいのかなあと思ったのね。たとえば『日本少年』でとかいろんな形でお世話になっているいろいろな方々、たとえば矢野誠さん、矢野誠さんなら絶対ストリングスとかアレンジやったらものすごい仕事するのわかっているから、矢野さんかな、とか。いろんなひとの顔が浮かんだんだけども、栗コーダーカルテットがイメージに浮かんで。で、すごい仕事ができたね。栗コーダーさんとやって。」

そうですか。これはサントラのCD化の予定とかは。

「そうですね。サントラ、出したいですね。イメージテーマソングみたいのを歌っているんだけど。映画の中には使っていないんだけど。」

あがたさんは留萌出身で、函館にいる頃にディランを聴いて音楽を始められたということですが、その後もピロスマニアで小樽の祝津という地名が出てきたり、『永遠の遠国』の最初のヴァージョンでは函館から大沼への車内アナウンスが出てきたりと。あがたさんにとって遠国の像といったものは北海道にあるのかなと思ったんですけど。

「うーん。そうだねえ、そのあたり客観的に考えたこともないんだけどね。生まれ育ったところへの愛着とか親しみいったものは強くあるんだね。あまりそういうふうにしようしようと思っているわけじゃないんだけど…。北海道でもやっぱりぼくは港町ばかりで育ったので、海の見える場所への親しみ。映画なんかは特にね、『港のロキシー』とか。どうなんだろうなあ。自分でもよくわからないんだけども。ヴァージンVSのラストアルバム『羊ケ丘デパートメント・ストア』は鈴木慶一さんがプロデュースしてくれたんだけど、この中には<百合コレクション>が入っているんだけど。<寂しいトンガリ>という曲も入っていて、詩の作り方とか慶一くんの意見とかききながらいろいろやっていたんだけど。あがたにはいつも北の港町が多いから、と考えて、ここでは東京の湾岸っぽい歌詩をつけて、そういう景色の歌だったりするんだけど。するとね、作ってレコーディングする瞬間はいいんだけど、あたからまたライブでやろうと思うと、なんか気が乗らないんだよね(笑)」

どうしてでしょう。

「気が乗らないというのも変な言い方だけども、おれの原風景とちょっと違うなと思ってしまうんだね。」

どこか着地しないんですね。

「うん。だからね、それがいいのかわるいのかわからないけど、ものすごいこだわりを持ってしまっているんだろうね。自分が幼児体験として、北の港町を父親の仕事で転々としながら育ったこと。まあ、稲垣足穂的に言えば、表現というのは幼児体験の完成だ、と言ってるけども。とくにぼくの場合は揺るがせないところがあるかなあ。それが表現としていいことかどうか、たとえば、ぼくらは音楽を作る立場だから許されるとして、これがたとえば新聞記者だとかドキュメンタリー作家だったら現実を見なきゃならないわけだから。でも、これも時々話に出てくるんだけど、あがたさんってリアルタイム性が見えづらいとか、まあすごくレトロっぽかったり、レトロが逆転してフューチャーだったりとか、そういう方法がぼくは好きだから、ついそういうふうに見られがちだけど、でも実はものすごくぼくの中ではリアルタイム性というのは大いなる要であって。だから、このアルバムひとつだって、去年企画が立ち上がって、ぼく自身も20世紀中は出したくないと思っていたし、21世紀になって、20世紀というぼくの生きたキャンバスを見ることによってやっとベスト盤という形に。そこに最低限の根拠があるかな。しかも、今年になって1曲目に入っているボーナストラックを入れました、と。ボーナストラックを入れた段で、もうそれがひとつ入っただけで、ベスト盤、20世紀というくくりでありながらも、ぼくの中でリアルタイム性が目覚めるわけです。すると<赤色エレジー>が1曲目に入って今日まで順に並んでいるのではなくて、逆に、この新曲を入れて遡って最後に<赤色エレジー>にしたいな、とか。編集ものであっても、今現在どういうスタンスでいるのかというのは常に強く意識していたいな、と。」


Niseko-Rossy Pi-Pikoe |編集CDR寒山拾得交換会musicircus

My追加