Niseko-Rossy Pi-Pikoe Review
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2010年03月24日(水) その2

<赤色エレジー>というヒット曲の呪縛というか、封印しておきたいとか、それは外側が作っていて本人はそう思ってないのかもしれないけど。<赤色エレジー>を最初に体験した時に、決して大正ロマンだとかレトロだとかという感覚でなくて、やっぱりあの時代のひとつの青春像としてヒットしたということがあった。80年代のバブリーな時代の中で封印されていたのはある意味では当然なのかな、と思いました。そして世紀を明けて聴くときに、意外とリアルタイムになっているというか。

「ぼく個人にとっても30年経ってしまうと、何か別物というか、そういう感覚もあるし。それと、このベスト盤を買って聴いて下さる方は、リアルタイムにヒットした時から聴いて下さっている方や、ほんとにこのベスト盤で初めてあがた森魚を知る十代の人たちもいると思うんです。その人たちにとっては、逆に新鮮だったりすると思うし。まあ、一言で言えないところまで、もう来てしまっていますね。あの<赤色エレジー>を歌ってしまったあがた、というところからは逃れられないとは思うんだけども。自分の中には<赤色エレジー>ありきを大いによしとする、これがあったから今日のあがたもここまでやってこれたというのもあるし、逆にこのことによって社会に出ていきなり矢面に立つものすごさ、良くも悪くもものすごさ、そこがトラウマになっている部分もあるし。今回のベスト盤に初回だけ、鈴木惣一郎さんと15曲を解説するというブックレットが入っているんだけど、これはすごい…」

すごく濃いテキストですね(笑)

「ええ(笑)あの中でも少し話しているけども。」

このベストの選曲については?

「気取って言うと、ベスト盤なんか死んでからでもいいじゃないか、とか(笑)あったんだけど。実際には、自薦アルバムにしたり、というテもあったと思うんだけど。もちろんいろいろな切り口で自薦アルバムをつくるというのは企画としてはあるかもしれないけど、いきなりベスト盤を自分で選んで、というのは何か違うなと、自己満足的過ぎるんじゃないかなと。それで、今回は惣一郎さんにお願いしました。選曲していくとどうしても15曲じゃ収まらなかったりしました。アルバムタイトルを『20世紀漂流記』として、あがたの彷徨ったところがなるべくまんべんなく聴ける選曲にしましょう、と言いつつこういう選曲になったんですが。これはこれで良かったと思うんです。あと何曲か入れば、あれも入れたいこれも入れたい、とか思ったりも。自分としてちょっと残念だったなと思うのはヴァージンVSが1曲入っているんだったら、雷蔵も1曲入れたかったとか。あと矢野誠さんのプロデュースのものも入れたかった。ああ、そういうこともライナーノートに書いておくべきだったなあ。」

じゃあ、このインタビューで(笑)

「ええ。書いておいてください(笑)アウトゼアの読者の方にはわかっていただきたい(笑)」



90年に、立川市民会館で、シバと友部正人とたまと。

「あの時は、雷蔵だったよね。」

そうですね。あの時は「終わってゆく20世紀」というテーマがあって、あがたさんはどのように思っているのかずっと気になっていました。あがたさんを、タンゴ、雷蔵、ピロスマニアとコンテンポラリーなアーティストとして観るのと別のところで。だから20世紀最後のプラネットアーベントでどんなMCをするのか、とても興味がありました。「(20世紀のおしまいに)着いてみると、こんなところでしたね…」とあがたさんはおっしゃった。それで…、ぼくもそうだな、というか…。それ以上あがたさんにおききしたいとは思っていないんだけど…。21世紀になってみて、今あがたさんはどう思われているのかな、とか。

「いい質問ですね(笑)」

いいのかどうか…(笑)

「21世紀になってからね、4ケ月しかたってないけど、毎日が密度が濃くって、嬉しい悲鳴なんだけど。ぼくの中からいろんなものが湧いて出てきて、早くそれを音楽にして一日も早くみなさんに聴いていただきたいというのが素朴な大前提としてあるし。」

稲垣足穂のCD文庫も3弾まで決まっているとか。

「あれはあれで3ケ月ごとに出してゆきます。それで、このベスト盤を編んでくれた鈴木惣一郎さんとか、この1曲目をプロデュースしてくれた久保田真琴さんとか、雷蔵とか、まさに2001年を折り返し地点にしてまさに未来に向かっての次の展開を考えています。さりげないラブソングを中心にしたいと思ってますけど。これからぼくらはこういう方向に向かって、こういうふうにきっとやってゆきたいんだなあ、みたいなことを、今すごくぶつけたいというか聴いてほしいというか。年齢のことをいうとあれだけど、もう50を過ぎてしまったわけだから、たぶん自分が音楽に目覚めた思春期の頃とまったく一緒にいるわけにはもちろんいかないわけで、しかもいちばんぼくにとっては生涯にわたってつきまとう、何というか…、…、課題というか…。相対する、敵対するオブジェとも概念とも言えるんだけど、やっぱりテクノロジーの発達と自分との関係というのは、これは魔訶不思議なものがあるね。」

といいますと。

「割とプリミティブなことが基本的には大好きだし、で、まったく裏がえって稲垣足穂的、少年理科教室的な世界も大好きだし。だから、テクノロジーを愛しているようで拒んでいるし、拒んでいるけど概念的には大好きだし。今あるパソコンとかインターネットみたいなメディア、これはやっぱり愛しつつ拒み、拒みつつ愛している。素晴らしいメディアだと思うし、ただ、インターネットのみならず、もっと、たとえば原子力開発からクローンの問題に至るまで、それをよしとするのかしないのかということになると、おれは科学者でも政治家でもないから、やっぱり普通に日常を生きていて、それで歌うあがた森魚となった時に、その歌の行間から滲み出ることによってでしか答えられないんだよね。へんなこじつけに聞こえるかもしれないけど、1曲1曲ラブソング作ることによってでしか返事できないんだ。」

はい…。
「何か集会がある時に行ってシュプレヒコールするわけにもデモするわけにも…、まあ、たまに行くのもいいけど、そこでおれが何かやってもあまり意味がないし、違うわけだよ。たかだか「会いたい」とか「会いたくない」とか、「こういう君が好き」だとか「嫌い」だとか言う行間でさ、おれは今21世紀に生きている、そういう現代のテクノロジーがあり、政治があり、人間関係がありという中で、ぼくが何かこういうふうに感じてんだよ、だからおれは今の時代をこう思ってんだよ、ということを、そういう中からしかやっぱり表現できない。良くも悪くも。現象現象においては、そういう時代に今置かれていることに、何か、耐え切れずに、何かを問いかけたり、訴えかけたりする時もあるけども、結果は、歌う、歌ってしまっているあがた森魚、で、たぶん答えは出しているし、それをやることによってでしか、できないというか。

はい、わかります。

「それこそ、アナログで2チャンでしかレコードが作れなかった時代から出発してんだから。『乙女のロマン』の時が8チャンで、『ああ無情』の時が16チャンで、『日本少年』の時は24チャンで…、と、トラックだけで言ってもね。そういう流れの中で、大枠作ってきて、デジタルになりデジタル配信になり、どんどん進化してゆくんだろうけども、でもやっぱり生身の肉声で歌い続けるということは変わらないだろうし。いろんなエフェクトで曲によりヴォコーダー的にロボトミー的な声を出すことは不可能ではないけども、やっぱりどこかで肉声で歌うことや、アコースティックな楽器で音楽を生音でちゃんとやるという基本的な行為は、行きつ戻りつしつつも無くなることはないだろうし。だから、そういう意味では、テクノロジーがどんなに進んでも、基本は変わらないんだけどね。」

そうですね。

「人間とテクノロジーの関係というのは、フィジカルな意味も、概念的な意味も含めて、ものすごい可能性とものすごい試されているというか、その攻めぎ合いがすごいから面白いとも言えるし。わりと20世紀末は少年の犯罪が多かった、今もいろいろあるんだろうけど、ちょうど90年代後半は子どもたちが何を考えているのかわからない、あるいは子どもたちが持っている犯罪みたいなものですごくぼくたちは問いかけられたけども、それは、今日テクノロジーのみならずぼくたちが置かれている状況の中に問いかけられてきた現象だと思うんだ。それは、なんというか、ぼくたち大人が…、なんて偉そうに言うけど(笑)…、ぼくたち大人が、ちゃんと答えを見つけていかないといけないと思う。」

はい。

「おれはやっぱり、魯鈍というか、だらだらしているところがあって。そんなに急がなくていいのに。テクノロジーにせよ、何にせよ、そんなに急がなくていいのに、と。だから、21世紀に、百年あるんだから(笑)…ぼくらしいカレンダーの割りかたすればね、百年あるんだから、21世紀になったら3年とかさ5年とかさ、20世紀のおさらいをするだけで、みんな今やってることお休みというか、開発は全部やめて、5年くらいおさらいしたら、ものすごいいい勉強になるのに。…と、ぼくは思うけどね。あらゆる意味で。」

うん、うん。

「ここまでみんなが必死になって突っ走ってきた…、突っ走ってきた1980年代のバブル的な最後の大あがきというか、ものすごい誇大妄想まで含めて、やってきたんだから、ちょっと、ね。ぼくの感性としては、いつもそう思っているんだけども。つまりさ、時代がトンがり続けると、もちろん表現というものはどこかトンがっているものだけど、たかだかミュージシャンもね、トンがり続けなければ「あの人、もうダメになったね」とか言われるでしょう?いいんだよ、別に言われたって。でもね、トンがり続けるためにだけおれたちは音楽やっているのかという、素朴な疑問があるよ。もちろんね、トンがっていなければつまらないし、自分でもトンがりたいから歌ったり音を出しているんだけども。その根底にあるものが…。…。やっぱり、つかのまに今一緒に生きていることの歓びを確認することなわけだから。…。確認したいから、それが前提だから、「こんな世の中じゃ、冗談じゃない!」というトンがりであり、「こんな素晴らしい時代に、とはいえ、こんな時代にこんな人間と出会えている」歓びを歌っているわけであり。
 たださ、こういう時代がさ、さらにせきたてられてくると、どんどんトンがり続けることでしかやってゆけなくなるとさ、ちょっとね。たとえば音楽にしても、映画にしても、文学でも、何でもそうだけど、もうちょっと子どもの頃に見たディズニーの映画をもっと見たいんだけど、とか。そういうことに、「何言ってるんだよ」というようなことにどんどんなってくるとさ、それだけではおれちょっとやだなあ、という感じがすごくあってね。
 とはいえ、進んでしまったテクノロジーを遡りするというのはないことで。だから、おれは柔らかなゲリラ作戦というか、柔らかなアンチテーゼというか。メディアも大事だしテクノロジーも大事だし、あとなんだろ、ファッションとか、人間が集団になってあっち行ったりこっち行ったり右往左往することも、愛らしいことだけど。だからこそ、パソコンありインターネットあり、海外旅行もすぐ行け、新幹線、国内までも飛行機で行ってしまう時代、だからこそ、メディアの情報を頼らずに、自分で時刻表開いて、各駅停車や夜行列車に乗って旅したらいいのに、とぼくは思うわけ。人それぞれの人生は一回性だから、あなたのお好きなようにおやりなさい、でいいわけ。ぼくもそうしたいし、あなたもそうすればいい。メディアの中であっち行ったりこっち行ったりするのも人間の営みとして楽しい。ストーンズが来てビッグエッグ行って、その晩一晩みんなハイになるも、ロマンチックなことも、みんないいと思う。何でもありだと思うんだ。
ただ、ぼくならぼく、あなたならあなた、という一個人は、輪廻転生するかどうかはおれはわからないけども、少なくともこの20世紀から21世紀にまたがって、ぼくならぼく、あなたならあなた、という名前と肉体と感性を持って生きるのは、これが最初で最後なわけだから。それはもう、絶対、自分の、これが正しい、なり、こうして生きたほうが素直でいいと思うことを、ほんとに大事にして生きてほしいし、そういうことを見つける感受性を磨く練習をお互いにもっとしたいねー、というのが。ほんとね。
 ほんと、たあいのないこと。みんな同じこと、実は、ほんとは気付いているし、思っているし、そうしたいと、そうしようと思っているわけなんだけどね。
 それを、お互いにどう揺さぶりあうのかな、という。政治の側からも攻めてくるだろう、日本の企業や経済のシステムからも攻めぎあってくるだろう、それを全体ではすごくいやな言いかただけど、お金や権力構造やそういうものから若者たちやぼくらを、こう、規制してくるだろうし。これはもう、なかなかイタチごっこでさ。でも、自分をほんとになるべく一生懸命見つめようとしている人が勝ちだと思うし。自分を一生懸命見つめようとしている人は、そうやって規制されたり丸め込まれたりすることから、ちゃんと巧みに逃げて、自分の生きかたをやったりしていると思うし。
 だからね、最近ぼくは男性論も女性論も考えるんだけども、いつも街の中、とくに東京で街の中、電車に乗って、いろんな女性、いろんなファッション、いろんな人を見かける。でもね、おれね、やっぱりね、「ああ、奇麗だな」と思う女性は、内省してるよね。自分を見つめている。これはね、パッと見るとわかるよ。ファッションでもわかるし、お風貌でもわかるし(笑)。
 でね、やっぱり自分で自分を見る、イコール自分で自分を磨くことだけど。自分で自分を見ることをさせないようにさせないように、メディアでもテレビでもしてくれるわけだから。そことどう24時間闘えますか、なんて。そりゃ、いいガールフレンドとか、いいボーイフレンドとか、を、見つけたり、そういう人たちと何かつねに攻めぎあうことだと思うしね。
 ここの読者も、きっとそういう人たちが多いと思うんだよね。まあ、そういう人たちは、是非あがたのコンサートを観にくると面白いよと言っておきたいけどね(笑)」

さりげないラブソングとか、女性の内省というと、まさにそれは「春の夜の手品師」なんですけども、ジェンダーの問題ってちょっとこういうところに来ているなと思いました。

「こないだ、とある雑誌で、あがたさんが影響を受けたミュージシャン5人と、それ以外の影響を受けた5人とかいって。まあ、ディランからいろいろ挙げたんだけど。そこで緑魔子さんを挙げたんだけど、緑魔子さんのみならずいろんな女性がもちろんいるんだけども。普通、50にもなってさ、なんかこう、それが歴史上の文学者とか、ジャンヌ・ダルク的なひとの名前を挙げるのはあれだけど、身近にいる人、お父さんやお母さんから始まってお友だち関係まで含めて、身近にいる女性に影響を受けた、って言いかたは、なかなか普段しないだろうな、と、言いながら思ったわけ。影響を受けたというと、たいていどっちかというと男性なんだよね。男性だったり、父とか母とか、偉人とかスーパースターとか天才的なひとのことを称するわけでね。もちろん緑魔子さんも、ものすごい天才的な女優だし、でも彼女の持っているところのすごさは、内省する力というか、自分を見る力。社会を見れば見るほど、自分を見る練習とかそういうことすごくしているひと。そういうベクトルを持ったり。ぼく自身もひとに負けずにそういうこと大事にしようと、思うよりも、本能的にそういうもの持っているから音楽やったりしていると思うんだけども。そういうことすごく大事なんだってこと、彼女ほどバイブレーションなり言動なりで突きつけてきたひとはそういないね。うん。
 もちろん、直接会ったことのない、ディランなんか、音源とステージしか聴いたことないし、そういうひと、いろいろいます。あるいは、つぶさに会った細野(晴臣)さんとか早川(義夫)くんとか、(鈴木)慶一にしてもね、やっぱりすごいことやっているひとって、ものすごく好奇心持っていろんなもの常に吸収してるし、それを自分の中で人知れずものすごい努力して咀嚼しているし、イコール内省ということだけど…。
 内省しづらい時代だし、へんに内省すると暗いとかダサいとか言われそうな時代だよね。でも、チッチ、だね、それこそね(笑)。結果、誰が得するか、それは、アンタがいちばんわかるでしょう?、みたいなことでさ(笑)。」


Niseko-Rossy Pi-Pikoe |編集CDR寒山拾得交換会musicircus

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