平板化について - 2010年07月11日(日) 悲しいことがあっても泣くことができず、感情が発散されずに内にこもる。 泣いているときはすごいカタルシスで泣き終わったら大分すっきりするはずなのだけど、最近それをしないでただやり過ごすようになっている。 結果として表情がでこぼこせずに平らになってゆく。 あー今我ながらすごい無表情だなあ、と鏡を見なくてもわかるぐらい魂の抜けたような顔つきを時折している。 返す返す思うのだが、陽一君と別れてから、わたしはひとりでちゃんと泣いていないのだ。 泣く暇がない。 ドラマとか映画をきっかけにして涙腺をゆるくしてやればそのままなしくずしになんとかなるんだろうけれど、見てもぼーっとしていて頭に入ってこないのでむずかしい。 ゲゲゲの女房は毎日見ている。 文枝さんはすてきだなあ、と思う。 そのくらいの感じだ。 自民党が大勝したのも、へー、ぐらいのもので正直どうでもいい。 投票も行かなかったし。 まあ冷静に考えると仕方のないことだったのだろうと思う。 どうもここ最近、仕事が足かせになって身動きが取れてない。 人生設計とは食い扶持のことで、仕事を手放してはいけない。 そうよ。まったくその通りだと思う。 優しい人は生きづらく、強い人は優しくない。 確かにそりゃそうだ。 人生そんなもんだ。 ということは、強くて優しい人を求めている私はとてつもなく高望みをしているということだ。 いやー。 やはり慣れないことはするもんじゃない。 どうにも現実が見えてなくて困る。 そんな人おりゃーせんわなあ。 優しい人はたくさんおる。 けれど優しいだけでは生きていけないので、わたしは婚活を始めたのだった。 そうすると今度は強い人がわたしの前に現れる。 強い人は優しくないので、いっしょにはなれない。 ということで、わたしはわたしの人生を生きていくしかないのであった。 -
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