日記...マママ

 

 

- 2007年10月31日(水)

昨日の日記で「ゴーレム効果」と書くべきところを「ゴースト効果」と書いていた。
テレビのチラチラかよ!
こないだ、学校の確認テストで「議院内閣制」を「議員内閣制」と書いて満点を逃した教え子がいた。
そのとき「意味を理解して覚えれば、次からこういう間違いはしなくなると思うよ」などと話して聞かせた記憶があるのだけど、今回のはそれと同じレベルの間違いなのではないか。

今日は午前中から事務局へ。
ためになる話を聞く。
本当にためになった。
さっそく次回から実践してみようと心に誓う。
先輩の先生たちはなんだかかわいい。みんなかわいい。
かわいいおばさんとか、かわいいおばあちゃんは好きだ。
かわいいおじいちゃんも好きだ。
かわいいおじいちゃん、で思い出したが、以前老健にボランティアに行っていたとき、デイケアで通所しているTさんというおじいちゃんと仲良くなった。
昔は写真屋さんをやっていたそうで、仕事の話とか子どもの話とか、あとは戦争の話とか、ずいぶんいろんな話を聞いた。
話がおもしろいので、わたしがいちいち感心しながら聞いていると
「あんたは、何かこういう専門の仕事をやっとったんだろ?」
と尋ねられた。
「こういう」とは福祉の仕事ということではなく、お客相手に話を聞く専門の仕事、という意味だった。(今思うに、具体的にどういう職業を想定して質問したのかはよくわからない。お水とかだろうか。)
「いいえ、ないです。」
と正直に答えると
「うそだろー。だいぶ慣れとらすもん。」
と、大仰に驚いてみせていた。

わたしがホールに入ると、どこからともなくTさんはやってきて、話をしたそうにわたしの周りをうろうろしていた。忙しくてあまりゆっくり話ができないときもあったが、そのときのTさんのつまらなさそうな横顔が何とも申し訳なくて、印象に残っている。
後から考えると、Tさんと話をすることがわたしのメインの仕事になっていたように思う。
ボランティアに行かなくなってからはTさんと会うこともなくなったが、今も元気だろうか。元気だといいと思う。

昼食は、センタープラザの桂花でラーメンを食べた。

センタープラザのフードゾーンでは、2軒のラーメン屋が向かい合っている。
「桂花」は、塩味の強い白濁スープが特徴だ。
麺は熊本ラーメンの中でもとりわけ太めで、噛むと小麦粉の風味が豊かに広がる。
対する「こむらさき」は典型的な熊本ラーメンで、スープはこってり、麺もほどよい太さと固さで、食べやすい。
そのスタンダードさがすばらしい。
横浜ラーメン博物館にも出店している。

どっちにしよう。
それぞれの店舗の前で立ち止まり、メニューにくまなく目を通す。
どちらも素敵。
あまり長いことメニューを眺めているので、奥から様子を見に店員が出てきた。
居心地が悪くなったので、とりあえず歩き始める。
フードゾーンを一周して(その間にも、うどん屋とかお好み焼き屋、カレー屋など、ほかの店舗も一応チェックしてみる)またラーメン屋の一角に戻ってきた。
また迷いに迷って立ち尽くす。
店員が出てくる。
歩き出す。

これを3回繰り返した結果、桂花に入った。
昔は大好きでよく食べていたのだが、最近の桂花は味が変わった。
なんか知らんが、急にあっさりした風味になったのだ。
元祖と呼んでも差し支えないぐらいの老舗なのに、これはいかなることであろう。
新興の他店で似たような味を出してきたから、それに対抗するかたちで別路線を打ち出してきたのだろうか。
それにしても、あの突然のあっさり化にはがっかりさせられたものだ。

でもまあ、おいしいのはおいしいのよね。
考えたら数年間ごぶさたしていたのだった。

ラーメン屋にひとりで入るとき、いつも思うことがある。

「女一人でラーメン屋って、恥ずかしいことなのだろうか。」
「いや、わたしは単純に今ラーメンが食べたいからラーメン屋に入るだけだ。それのどこが恥ずかしいのだ。」
「世間の風潮とか他人の目とか、気にしないもん。」
「こうして自分の気持ちに素直に行動できるわたしカッコいい。」

思いっきり他人の目を気にしているからこういうことを考えるわけですが、まあとにかく今日もラーメン屋にひとりで入ってカウンター席に座った。
すばやくお冷とメニューが置かれる。
お昼どきだったので店内の回転は速く、カウンター越しに店員がまだかまだかとわたしの注文をもどかしそうに待っている。
のにも気づかず、あくまでもマイペースにメニューの吟味を続けていたわたし。
「お客さん、決まりましたか?」
しびれを切らした店員が、わたしに声をかける。
ああ、待ってたのか、とそこで初めて気がついた。
だいたいこういうのは、着席と同時に注文をぱっとやってしまうぐらいすれば、スムーズに流れるのだ。それはわかってるんだけど。吉野家とか天神(←よく行くうどん屋)ではだいたいそうなんだけど、なにぶん久しぶりだったからね。桂花で食べるのは。

朝食を食べていなかったので、ラーメンと、ごはんと、餃子を頼んだ。
朝と昼はおなかいっぱい食べないとだめだから。わたしは。

1年ほど前に買ったきりだった「アルジャーノンに花束を」を、最近読み始めた。あまりにいつまでも読まないので、もうこれからずっと読むことはないだろうと諦めて母の教室の文庫コーナーに寄贈していたのだった。けれど、母の教室を手伝う日、休憩時間の手持ち無沙汰になんとなく読み始めて、なんとなく読み続けている。つい先日教室から持って帰ってきて、続きを読んでいる。今、脳の手術が終わって、どんどん頭がよくなりつつある過程のところだ。

ラーメンを待つ間、続きを読んだ。
チャーリィの、幼少のころの記憶は悲惨だ。
母親から受け容れてもらえないつらさって、ね。

最近、教室に来ている子のなかで「この子はもしかしたら『学習障害』にカテゴライズできる子なのかもしれない」と思い始めている子がいる。
もちろん本人や親にそれを言う権利はわたしにはないのだが、仮に専門家からそのような診断を下されたとして、どうなるか。
まず言えることは、本人が楽になる、ということだ。
「普通の子」が普通にできることが、なぜだかできない。
そのことで本人は、幼少期からずっと目に見えない精神的な迫害を受けている。
自分は劣等生だ、だめなやつだ、という自己意識を、骨の髄まで染み込まされてしまっている。
それが自分の責任ではなくて先天的な器質によるものだった、ということになれば、気持ちは楽になる。間違いなく楽になる。自分を肯定的に見る手助けになる。
そういう意味で、ADHDだのLDだのという分類は有意義だと常々思う。

ほどなくして注文の品がつぎつぎと運ばれる。
ごはんは、餃子を全部おかずにして食べてなお、ちょっと余るぐらいの量。
なかなかよくわかってらっしゃる。
余剰分は、ラーメンをおかずにして食べる分。

麺は少し茹ですぎではないかと思ったけれど、おいしかった。
スープの塩味の強さはそのまま、ただし、前に食べたときより少しこってり感が戻っていた気がする。
喜ばしいことだ。
夢中になってぱくぱく食べる。

目算どおり、ぴったりおなかいっばいになって食べ終わった。
本当はビールも飲みたかったのだけれど、車だったのが残念だった。

となりの席のサラリーマンが
「え、生ないの?じゃ缶ビールでいいや」
とかって、ビールを注文していた。
いいな。

帰り、駐車場から車を出すとき。
精算所の係員は、左手の指がない。
この人はたぶん管理会社の職員だと思う。ときどき見かける。
顔は一面ケロイドで、わからないけど、交通事故か何かだろうか。

以前、工場で働いていたときに巻き込まれた、と言って、左手の薬指と小指がないのを見せてくれたおじさんがいた。職場のおじさんだけど。「俺はこんな不具だから、結婚とかできん」とずっと思い込んでいたらしいが、だめもとで奥さんにプロポーズしてみたときには「?べつにいいんじゃない?」と、何が問題なの?と言わんばかりの様子で普通に結婚を承諾してくれて、それに非常に心を打たれた、というようなことを話していた。
まあ、そうだろう。
確かに不便なこともあるかもしれないけれど、べつに結婚できないほどのことではない、と周囲からすれば思う。
だってそのおじさん、仕事したり、喫煙室で同僚の人たちと愚痴言い合ったり、女子社員にセクハラしたり、飲みに行ったり、普通にしてたし。
その「普通」の陰で、もしかしたら人知れず苦労していたのかもしれないけれど…いや、まあ、あったとしても、たぶんそんなにないかな、あの人は…。いずれにしても手の指が10本か8本かということは、その人に対する印象を特に変えることはない。10本だろうが8本だろうがセクハラされてうっとうしいのはいっしょだ。


駐車場の係員の話に戻って、この人に左手の指があろうとなかろうと、べつに印象は変わらない。
これは冷たいことなのだろうか。
「ハンデを背負っているのに普通の人と同じように働くことは大変だ、普通にしているだけですごい」とか思わないといけないのだろうか。
本人が現状を受け容れているのなら、それで問題は解決なのではないか。


午後は家でゆっくり。
眠っていると、いろんなところからいろんな電話がかかってきて、何度も起こされた。世の中は普通に動いている時間帯なので当たり前なんだけど…。


家庭教師先では、やはりどうもいまいち、親子ともに気持ちが乗らない模様。
正直、お金をもらうのが申し訳ないぐらいに肩透かしを食らっている。
はあ。
なんだかなあ。


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