ククールが嫌い - 2007年10月30日(火) Sランクのピーチ姫やゼシカには勝てるのに、なぜBランクのククールに勝てないのか。 なぜククールはことごとく空き地に止まるのか。 だいたいなんだよ、「ククール」って。へんな名前。 ばーかばーか。 今朝は病院に行こうと思って早起きしたものの、午前中から出かけるだけの力を振り絞ることができず、着替えて化粧までしたところで力尽きてしまった。ふらふらする頭で仕事へ。生徒が増えて忙しい。大変ありがたいことなんだけど、まあとにかく忙しい。 仕事中、ピグマリオン効果とゴーレム効果について考える。 「あー、もうこの子には教えてもダメだな」と思ってしまったらそこでおしまいだ。生徒を伸ばすにはまずはじめに、教える側があきらめないこと、常に期待を持ち続けることだ。 たとえ口には出さなくても、大人の発するそういった空気を、子どもは本当に敏感に察する。基本的に 「この人はわたしに失望している」 「この人はわたしに期待していない」 と子どもに思わせてはならない。それは教育の失敗だ。 帰り道の車の中で、なんとはなしに 「人類は、いずれ筆記具を使わないで生活するようになるんだろうか」 ということを考えた。 このままいけば、文字を書くということイコール、キーボードとか音声入力とかで電子文字を連ねていく、ということになるのかなあ、とか。 安野モヨコのまんがに、未来からタイムマシンに乗って現代にやって来た青年が、平方根や二次方程式の問題を見て「(俺には)ぜんぜんわからん」「へえ、こんな計算をアタマでやるんだ…」と感心するシーンがある。 まあまんがに書いてあったからそうだと言いたいわけではないけれど、もしかしたら、そんなふうになっていくのかもしれないなあ、と。 しかしそうすると、人間の頭というものはどんどんわるくなっていくだろうなあ。 コンピュータを開発する人たちばかりが頭がよくなってゆき、使う側の人たちはどんどん頭がわるくなってゆく。おそろしや。 未来戦争が起こるとしたら、コンピュータ対人間ではなく、コンピュータ開発者対消費者、ではないか。 両者の間に立たされるコンピュータ販売会社の営業なんか、最初は開発者側についてるんだけど、しだいに消費者側の人間性に心動かされて形勢が変わるとかね。 -
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