ごはん納豆 - 2007年09月05日(水) 納豆ごはんではなく、ごはん納豆がおいしいと思うんです。 納豆をパックの中でよくかき混ぜて(別の器に移してからでもいいけど)、そこにごはんをのせるわけです。 ごはんに納豆をかけるのではありません。 かき混ぜた納豆にごはんをのせるのです。 だから「ごはん納豆」。 メインは納豆です。 いきおい、ごはんはやや少なめになります。 それでよいのです。 で、ごはんを納豆に和えながらいただきます。 う、う、うううううまーーーーいいい!!! 納豆ごはんより、断然こっちのほうがおいしいのです。 食感がぜんぜん違うのです。 納豆のねばねばがごはんにばっちり絡みます。 納豆ごはんは、所詮ごはんです。 ごはんに毛が生えたようなものです。 いや、ごはんはごはんで十分においしいんですが、こう、「納豆」と「ごはん」といううまいものどうしの奏で合う交響曲としては、いまひとつ完成度が足りないのではないかと思うのです。 個々の要素の持ち味を最大限に生かしてこそ、ハーモニーは躍動感にあふれたものになります。 納豆の持ち味とは、あのねばねばです。 しかし納豆ごはんでは、納豆をごはんにかけた段階で、相当量のねばねばがもとの容器の内壁に取り残されてしまっています。 これは致命的と言えましょう。 なにしろ納豆の持ち味が置いてきぼりになっているわけですから。 そこへきて、ごはん納豆です。 かき混ぜられた納豆が主であり、そこにごはんのほうが従として挿入される形になるわけです。 納豆のねばねばが活きてくるのはどちらの形態か、考えるまでもないでしょう。 「それでは逆に、ごはんの持ち味が活かされないのでは?」 その反論ももっともです。 しかし、ごはんは、あのごはんです。 遠く弥生時代より日本国民の食卓を支えてきた、あのごはんです。 他の作物とは一線を画し、とりわけ大切に保護管理されてきた、あのごはんです。 ごはんは、どんなおかずといっしょでも、しっかりと「ごはん」ではありませんか? だからこそ、ごはんはこれほど長い間、日本国の主食であり続けたのです。 納豆を主役として引き立たせつつ自身の持ち味を保つことなど、ごはんにとっては造作もないこと、いや、むしろごはんにとってはそれが日常なのです。何も心配いりません。 「明太子ごはん」 「たまごごはん」 「梅干しごはん」 「バターごはん」 このようなものたちは確かに、両者の主従関係を覆すことは難しいでしょう。 しかし「納豆ごはん」は違うと、わたしは言いたい。 納豆とごはんは「納豆ごはん」ではなく「ごはん納豆」として食されるのが、両者にとってはるかに幸福な食され方なのではないか。 わたしはそう思ってやまないのであります。 日本の食卓に、「ごはん納豆」を! -
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