日記...マママ

 

 

さみしい - 2007年08月19日(日)

ばななはもういい、という話だが、この虚脱感、がっかり感、ぽっかりと魂が抜けたような、浮遊感。
かなしい。
さみしい。
もう何もしたくない、力が出ない、やる気も出ない。
さみしい。さみしい。

帰り道のJRの車内で、前の座席に座っていた親子がいい感じだった。
3歳ぐらいの男の子とお母さんがふたりで座っていて、男の子は、窓の外の景色を懸命に眺めていた。
壁とイスの隙間から見える後席のわたしの顔が気になるらしく、時折目が合う。
顔つきが陽一君に似ていた。
切れ長だけど大きい目、ほっぺのやわらかい輪郭、ふっくらしたまぶた、細い鼻筋、うすい唇、陽一君を3歳児にしたらこのようになるのではないか、と思った。
お母さんは、3歳の陽一君(仮名)がよその座席に歩いていかないよう彼のからだを抱きしめながら、窓の外に流れる風景を、しっかりしたボキャブラリーでひとつひとつていねいに彼と共有していた。ほら見てごらん、タンクローリーが走っているよ。ガソリンがはいってるの?そうね。ガソリンが入っているのよね。見てごらん、黄色い列車がお隣に停まっているよ。あっ!あそこにあるのは蒸気機関車じゃないかな?じょうききかんしゃ。ね、蒸気機関車じゃないかなぁ?そうばい、じょうききかんしゃばい。
男の子はそこまで話してから突如、鶴屋の歌を歌い始めた。
鶴屋とは熊本にある百貨店で、店内では
「鶴屋 ラララン 鶴屋 ラララン
 ランラ ララララ ランラン 
 ハイ ハイ ハイセンス 
 つ・る・や♪」
というような感じのテーマソングがエンドレスで流れている。
それを彼もまたエンドレスで歌っていた。
同郷だわ。

熊本駅に降り、第一環状線に揺られながら、体が熊本の街に自然となじんでゆくのを感じた。田舎っぺ丸出しのギャルの集団や、ごみごみとした統一感のない店構え、生々しい蒸し暑さ。全体的にゆるく、無頓着な、なんだかそういう感じの。そこにかっちりとはまり、風景の中に違和感なく溶け込んでいく。
熊本市に越してきてから10年以上が経ち、その歳月が、たぶん、この土地に適合した「身の丈」というようなものをつくりだしていたのだ、と気づいた。




昔、米作りでは誰もが一目を置くある善良な男が、土地の権力者に、半年かけ丹精こめて育て上げた自家製のとっておきのお米を振る舞った。
それはもう本当においしいお米で、殿様が果たしてどんな反応を示してくれるか、楽しみで仕方がなかった。
殿様はひとくちごはんを口に含んだ。
もぐもぐと咀嚼し、確かにこれはおいしい、というようなことを言おうとした。
すると中庭では、殿様の3歳になる寵児が蝶々を追いかけている。
愛らしいその姿に殿様はもぐもぐと咀嚼を続けたまま中座して、子どもを追った。
あとはもう、蝶々と戯れる子どもと殿様。
うららかな秋の空に、きゃっ、きゃっ、と歓声が響く。

お膳の前にかしこまって控えていた男は、その光景をただ見つめていただけだった。




なんだか自分でもよくわからないが、なんとなく頭に浮かんだお話。


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