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2004年08月28日(土)
恋愛の価値観で話したこと

友達の女の子とお話をしていて、いろいろと考えさせられた。

彼女は、どこか相手に求めることが主体となっている。経済面を中心に、精神的なものも含めて。そこでずれると、もうだめなのでしょう。
僕は、そういうお話を聞いたとき、ふっと「じゃあ、君は相手に何を与えられるの?なにをしてあげたいの?何を与えてあげたいの?」って聞きました。彼女は言葉なく考え込んでしまった・・・

自己愛っていうものがある。
自分が愛されるってことが最大の関心ごと。それが過度になると、かえって愛から遠ざかっていく。結局また孤独になってしまう。

結婚まで考えるのであれば、もちろん金銭的な部分で、その人の尺度を測るのも仕方のないこと。社会的な責任だもの。結婚って。ただ、それだけでは、それが一番優先というのであれば、先でうまくいかなくなる。むろん、彼女が言うように、「女ってそんな経済的なシビアな面を重視するものなんだから!!」って反論していたけれど。なんかちょっとだけ僕は寂しく感じました。

恋愛でね、何を相手に与えてもらえるか?を考えが先に来てしまうのが、どうなんだろう。結婚まで考えるの過程で、そういう面もあっても当然だとは思うよ。でも、それ以上に、まずはお互いが、相手に対して何ができるか?何をしてあげたいか?相手に対してすることが、必然的に自分の幸せになる・・・そういう形でなければ、恋愛は長続きしないと僕は思うのです。
そのバランスがどちらかに偏ってしまうのはいけない。
お互いが限りなく50・50の対等であるのがベストなんだと思うんだけどな。
たとえ、自分が相手に比べ、力がなくっても、その人だけに対して、ひたむきな気持ちをずっと持ち続けることは、相手になにかを与えることになるように思うのだけど。

なにも経済的なことをいってるのではなく、精神的な依存、やさしさ、、思いやり、愛情、価値観、直接的な触れ合いなどなど、すべてに共通することです。

「究極の愛とは、けっして代償を求めず、与えることが喜びであるような愛である」

昔読んだ本にそんな言葉が書かれていた。別にここまで究極の愛を求めようと躍起になることはないけれど、普段の人間関係の中でのベースとして、この言葉って大切なことのように思う。恋愛の最終的に行き着くことって、この言葉なのかもしれない。

彼女には、めずらしく厳しいこといっちゃったね。いま思うと、そういう価値観って人それぞれだから・・・それに、人間は弱いものだから。僕も偉そうなことはいえませんね。

僕は、もう恋愛はできないのでは?って最近特に思っています。いろんな理由もあるけれどね。ただ、きょう、その女の子と話して、なおさらその思いを強くして、どこか自らを悲しく感じています。
人の何倍も考えすぎるのでしょうし、慎重にゆっくり相手を知って、理解して恋愛をしていきたいと考えるようになったから。恋は、トレンディードラマのような軽いゲームのようなもののように、いまは、割り切れない。出会ってすぐ付き合ったり、すぐ別れたり・・・そういうのは、寂しいことのように思えてる。だからこそ、私の場合は、たびたびあるタイミングも通り過ぎてしまい、誰とも恋まで発展しないのでしょうけれど・・・いい人ではあるが、かけがえのない人にはなりにくいタイプでしょうね。不器用だから。すごく相手に気をつかって、あわせることばかりしてしまう。だから、強引さのない人に思われる。つい強がってしまったりしちゃうし。こういう複雑な人間を理解する人は、いないだろうな。もう、ひとりで生きていく覚悟は少しずつしないといけない。人の恋愛など気にせず、恋愛に苦悩することなく、静かにおだやかに、でも凛とした自分であり続けながら、自分の世界を持って、生きていきたい。

僕も、どこかで恋愛のバランスを崩してしまってるのでしょうか?



コバルト

広島在住
文筆とカメラとここちよい暮らしが好き
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