Land of Riches


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 2010年08月18日(水)   心+童=憧 

アフィさんの占いは相性悪いけど、↑はいい言葉かもしれない。

帰り道、公園で手持ち花火に興じる若い女性4人組がいた。
別に…大人になったら遊んじゃいけないなんてルールはない。
童子のような心で、無邪気に遊べばよい…なぜ、それに違和感を覚える?



検索エンジンは必需品。ないとwebの海を彷徨えない。溺れられない。
分からない「もの」とぶつかったら、間違いなく検索する。
google派ではないけれど(苦笑)

指摘されるまで、自分が検索バカだと気づかなかった。普通だと思ってた。
検索して繕った膜なんか、とっくに見透かされてたわけだ、webの澱みの百戦錬磨には。
あの頃は子どもだった。孤独だった。構ってくれれば、なんでもよかった。
それが、目に見えず、触れることもできない対象だろうと。

あれは、甘やかなロールプレイングゲーム。
現実と虚構の境界線を見失った私は…千葉県柏市へ落下した。

落下して、埃にまみれて、どれだけの歳月が流れただろう。
固定概念は、自らに課した檻は、いつしか重荷へと変貌し。

この夏、私は左へ右へと、ありえないぐらいの蛇行運転で、
いろんなものを振り落とし、本当に大切なものだけ抱えたい…と願うようになった。

書きたい日も。
書きたくない日も。
読みたい日も。
読みたくない日も。
見たい日も。
見たくない日も。
体が言うことを聞かない日も。

wikipediaは魔物だと思う。読んでいると時間を忘れる。
その分野を知る人からすれば、間違いだらけの薄っぺらい記述だけど。

知らなかったことを知ったかのような錯覚が、快いのだ。
だから、「wikipediaみたい」と誰かの観戦記を形容するのは、
褒め言葉でもあり、同時に、嘲笑を意味もしている。

知れば知るほど「不幸」になるのに、無知が最も純粋な幸福なのに。
知ろうとして、知った気になって、喜んで。

知りえる世界・概念と、把握・実感できる世界・概念はイコールじゃない。
後者は前者を、ごく一部だけ乗り越える。そこに、個々人の人生がある。

感じ取れないフィールドなんて、要らないとまではいかなくとも、
人生全体からすれば、オマケでしかないのだ。
オマケに振り回される必要など、どこにあるのだろう。


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