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Land of Riches
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アフィさんの占いは相性悪いけど、↑はいい言葉かもしれない。
帰り道、公園で手持ち花火に興じる若い女性4人組がいた。 別に…大人になったら遊んじゃいけないなんてルールはない。 童子のような心で、無邪気に遊べばよい…なぜ、それに違和感を覚える?
検索エンジンは必需品。ないとwebの海を彷徨えない。溺れられない。 分からない「もの」とぶつかったら、間違いなく検索する。 google派ではないけれど(苦笑)
指摘されるまで、自分が検索バカだと気づかなかった。普通だと思ってた。 検索して繕った膜なんか、とっくに見透かされてたわけだ、webの澱みの百戦錬磨には。 あの頃は子どもだった。孤独だった。構ってくれれば、なんでもよかった。 それが、目に見えず、触れることもできない対象だろうと。
あれは、甘やかなロールプレイングゲーム。 現実と虚構の境界線を見失った私は…千葉県柏市へ落下した。
落下して、埃にまみれて、どれだけの歳月が流れただろう。 固定概念は、自らに課した檻は、いつしか重荷へと変貌し。
この夏、私は左へ右へと、ありえないぐらいの蛇行運転で、 いろんなものを振り落とし、本当に大切なものだけ抱えたい…と願うようになった。
書きたい日も。 書きたくない日も。 読みたい日も。 読みたくない日も。 見たい日も。 見たくない日も。 体が言うことを聞かない日も。
wikipediaは魔物だと思う。読んでいると時間を忘れる。 その分野を知る人からすれば、間違いだらけの薄っぺらい記述だけど。
知らなかったことを知ったかのような錯覚が、快いのだ。 だから、「wikipediaみたい」と誰かの観戦記を形容するのは、 褒め言葉でもあり、同時に、嘲笑を意味もしている。
知れば知るほど「不幸」になるのに、無知が最も純粋な幸福なのに。 知ろうとして、知った気になって、喜んで。
知りえる世界・概念と、把握・実感できる世界・概念はイコールじゃない。 後者は前者を、ごく一部だけ乗り越える。そこに、個々人の人生がある。
感じ取れないフィールドなんて、要らないとまではいかなくとも、 人生全体からすれば、オマケでしかないのだ。 オマケに振り回される必要など、どこにあるのだろう。
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