橋本裕の日記
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2007年10月10日(水) お金を生かす生き方

経済のグローバル化(アメリカ化)で得をするのは大企業や裕福な人たちで、彼らは収入もふえるし、国境を越えて資産を移動し、国際的なファンドに投資して儲けることができる。

しかし、庶民はこのグローバル化で職を失い、労働力まで買い叩かれ、物価は上がり、賃金は下がるという究極のデフレを体験することになる。医療難民や介護難民もこれから増え続けるだろう。

森永卓郎さんが言うとおり、日本はこれからもますます格差社会になり、やがて私たち庶民の平均年収が300万円を切る時代がくるのかも知れない。

 そこで、私たち庶民にもいろいろな生き残り戦略を考えなければいけない。節約してお金をため、これで株を買ったり、ファンドに投資することも一つの方法だろう。しかし、これがうまくいくという保障があるわけではない。あまり欲気をだすと、虎の子の年金や退職金までむしりとられないとも限らない。

そこで私が考えたのは、お金や地位がすべてという価値観を捨てる生き方である。お金がないからと言って卑屈にならずに、貧乏もまた気軽でいいものだと割り切るのだ。そうすれば利殖のことであくせくすることなくなる。お金や資産があっても幸せとは限らない。財産よりも大切なものがたくさんある。そうしたものに眼が向けば、人生の視野が大きく開ける。

 現に、フィリピンなどへ行くと、貧乏をしているのに、みんな結構たのしそうにしている。それは人と人との間に、あたたかい相互扶助の関係があるからだ。おそらく、少し前までの日本にもあったような、なつかしいぬくもりと優しさが、そこここにあふれている。

しかし、お金がすべてではないからといって、これを否定して、清貧に甘んじるということもなかなかむつかしい。お金の価値を否定するのではなく、むしろこれを便利なものとして使いこなし、人生をゆたかにする一助として活用したらどうだろう。

 そこで私がおすすめしたいのは、狭い日本から飛び出して、自分自身も思い切ってグローバル化する生き方である。日本から飛び出すといっても、日本人をやめるわけではない。日本人でありながら、同時に地球市民として、大きな視野や志をもって生きるのだ。

 年収300万円といえば、日本でこそ低所得だが、海外の標準からすればまだまだ高所得である。それなら、日本で稼いだお金を、もっと別の、物価の安いところで使えばよい。たんに自分の生活のためだけではなく、ボランティアとして活動する事だってできる。

たとえば、フィリピンなら年間100万円もあれば夫婦で悠々と暮らすことができる。私の知人の夫婦は年間80万円足らずで暮らしながら、現地の子どもたちにバスケットを教えたり、経済的な援助までしている。

少ない年収でそんなゆとりのある生き方ができるのも、フィリピンでは日本の100万円が500万円ほどの価値があるからだ。日本はお金を稼ぐにはよくても、お金を使うにはあまりよいところではない。お金の価値に比べて物価が高いからである。そうするとお金の使い道が自ずから限られてしまう。自分だけの生活で精一杯になり、ますます視野狭窄に陥るわけだ。

 というわけで、私は定年後は1年の半分はよその国で過ごそうと思っている。そうすれば年収300万円でもゆとりのある暮らしができる。それに豊かな自然や、あふれる人情につつまれて、精神的にもゆたかになれる。地球市民としての視野をもてば、いろいろな工夫も浮かび、面白おかしく人生をたのしむことができそうだ。

(今日の一首)

 人生はたのしむものなり憂き世さえ
 生き方変えればしあわせの園


橋本裕 |MAILHomePage

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