橋本裕の日記
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2007年10月08日(月) 対馬丸の悲劇

 昨日は久しぶりに関西に旅をした。豊中市の「よみうり文化ホール」で「銀の鈴」という演劇を鑑賞するためである。8:20にJR木曽川駅を出て、岐阜、米原と乗り継ぎ、新大阪に10時半ごろついた。そこで少し早い昼飯をたべた。

地下鉄御堂筋線で千里中央駅へ着いたのが12時少し前。開演の1時まで少し間があったので、喫茶店でパンフレットを読み返しながらコーヒーを飲んだ。

「銀の鈴」は学童疎開船「対馬丸」の悲劇を描いている。劇団ARKの主宰者で、脚本・演出を担当している斎藤さんの文章をパンフレットから一部引用しよう。

<物語は昭和19年8月に沖縄を出発した学童疎開船「対馬丸」をベースにした作品です。8月22日夜半、米潜水艦の攻撃を受け、1418名(そのうち学童738名)の犠牲を出した痛ましい事件です。奇しくも今年は沖縄返還35周年、そして海底に沈む対馬丸発見から10年目の節目でもあります>

 私は名古屋で斎藤さんとお会いしている。そのとき、「銀の鈴」の脚本をいただいた。これはとてもすばらしい作品である。ぜひとも劇を見たいと思っていたら、斎藤さんから招待券を送っていただいた。ありがたいことである。開演の1時が待ちきれない思いで、少し早めにホールの席についた。

 劇の前に、対馬丸の生き証人の一人である上原妙さんが舞台に現れ、63年前の体験を話してくださった。疎開学童は軍艦で運ばれると聞いていたが、実際は輸送船だった。対馬丸は全長が100メートルをこす貨物船で、その真っ暗な大きな船倉に千名あまりがおしこまれた。

 潜水艦の魚雷を受けて沈没するとき、多くの子どもたちはその船倉にとじこめられた。甲板に上がろうにも、4つあった梯子はどれもちぎれて、這い登ることさえできない。

「ちょうど、このホールくらいでしょうか。壁が絶壁のように高いのです。そこに水が浸入してきました。私はたまたま甲板で寝ていました。でも、多くの学童は船倉にとりのこされ、泣き喚いていました。その声が聞こえてきたのです」

 上原さんは当時14歳だったという。甲板から海に飛び込み、台風で荒れる海に3日間漂流したあげく、奇跡的に生還した。戦後は美容学校を卒業して、沖縄で50数年間美容師をしているのだという。上原さんの生々しい証言を聞きながら、私たちはもうすでに非日常的な異時空間にひきこまれていた。

「銀の鈴」は若者たちの荒々しいダンスから始まった。舞台のうえ一杯に、50人ほどの若い娘たちが野獣のように身をくねらせ、踊り狂う。その生命の乱舞に、まず度肝をぬかれた。そして彼女たちの乱舞が終わると、舞台は一転して静寂につつまれる。

 そこに子どもたちがあらわれ、教師があらわれる。そして能の夢幻劇のような印象的な会話がかわされ、生と死が交錯する中で、対馬丸の悲劇が語られていく。私はたちまち63年前の沖縄に連れだされ、そして対馬丸の船倉に閉じ込められたような重苦しさを味わう。私自身がいつのまにか、その事件の中に巻き込まれているような緊張が、臨場感あふれた迫力となって伝わってきた。

舞台は無駄を省いて、簡潔そのものだ。舞台装置らしいものは何もない。生演奏を奏でるピアノと管弦楽の人たちを除けば、そこにはただ何もない空間だけがある。ところが登場人物の会話がそこに、まざまざと事物を浮かび上がらせる。

お国のためを思い、自らを省みようとしない純真でひたむきな児童たち。そして危険と知りながら生徒や親を説得して輸送船にのせる教師たちの苦悩。市長や軍人が登場し、こうして劇はクライマックスの悲劇へと流れていく。悲劇を知り、慟哭する教師。私も泣いたが、観客席から多くのすすり泣きの声が漏れていた。

この深い悲しみのあと、舞台にふたたび、沖縄の民族衣装を着たきらびやかな踊り子たちが登場する。そして沖縄から参加した「沖縄かりゆし会」の豪壮な太鼓や小太鼓、三味線が鳴り響き、最後は総勢113名の登場人物がすべて勢ぞろいして踊り戯れる。私たち観客も手拍子でこれに参加する。

戦争は悲惨だが、この地獄の体験を乗り越えて、沖縄の人たちはたくましく生きてきた。もはやふたたび「お国のために」という言葉をはびこらせてはいけない。軍人をのさばらせてはいけない。なぜなら私たちはお国の奴隷ではない。人殺しの機械でもない。人を愛し、平和を愛する「人間」なのだから。

そして人間とはほんらいすばらしいものだ。人生とは生きるに値するものなのだ。生命より他に尊いものはない。最後の大団円はそんな力強いメッセージで私たちの心に勇気を与えてくれた。なんとも感動的な舞台だった。

対馬丸の悲劇は当局によって隠された。この事件が知られるようになったのは、戦後になってからだ。しかし、戦後62年がたった今も、対馬丸は悪石島近海の水深871メートルの深海に、多くの子どもたちの命を抱いたまま沈んでいるのだという。
 
(今日の一首)

 銀の鈴あたえし娘は今もなお
 海底深く闇に眠れり


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