橋本裕の日記
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2007年09月28日(金) 構造改悪派の経済学

もともと経営者や経済学者に人気があり、今ではフリーターまでが信仰している「市場にまかせればすべてうまくいく」という構造改革派の経済学は、半世紀ほどまえに米国で生まれた。その教祖的人物はフリードマンである。1962年に出版した「資本主義と自由」のなかで、彼はこう書いている。

<私は自由主義者として、もっぱら所得を再配分する累進課税については、いかなる正当化の理由をも認めることがむずかしいと考える>

また、「資本主義と自由」の中では、次のように書く。

<黒人の差別問題は貧困問題である。彼らが収入が高い仕事につけず、不況になると真っ先に解雇されてしまうのは、十代のとき怠けて勉強しなかったため、企業が必要とする技能を身につけていないことが理由である>

 フリードマンは政府が保険制度を構築することにも反対した。また、「最低賃金法が雇用を阻害している」と主張している。

 フリードマンはそれまで信奉されていた、ケインズ学派の経済学を否定する。そして1976年にノーベル賞を受賞し、経済学者として大成功を収めた。

 経済の上に社会を置き、社会的規制によって、市場経済の行き過ぎを是正しようとしたケインズ経済学に対して、フリードマンは、社会的規制は必要なく、すべてを市場原理に任せたほうがよいよいと考える。電力などの社会資本についても、自由化、民営化を主張する。

 81年に政権をとった共和党のレーガン大統領は、このフリードマンの新自由主義経済学を政策に取り入れ、規制緩和が次々と行われた。こうしてこれまで規制によって守られていた労働者の権利は次々と剥奪され、アメリカ社会は企業優先、利潤優先社会へと大きく変わった。

 この流れは、93年に発足した民主党のクリントン政権になっても変わらなかった。クリントンはそれまで民主党の伝統であった労働組合重視の福祉国家重視型の経済政策を捨てて、フリードマンの競争優先の市場原理主義を採用した。そしてゴールドマン・サックスの会長であったロバート・ルービンを財務長官に迎える。

 そしてレーガン時代からFRB議長だったグリーンスパンもそのまま留任させる。グリーンスパンがフリードマンの信奉者であることは周知の事実だった。

 フリードマンは1912年に東欧出身のユダヤ人移民の子どもとして生まれた。子どもの頃から新聞配達をし、苦学しながら大学を卒業し、ついにシカゴ大学の教授になる。こうしたしたたかな経歴が、彼の個人の自助努力を重視する自由主義経済学を生み出したといえる。

 彼はカルフォルニアに豪邸を立て、テレビ番組の中でその豪邸の前に立って、「自由な社会であり、選択の自由があるならば、私のような人間でもこのような立派な家をつくることができる。私は一つのモデルにすぎない。みんな同じことができるのです」と胸を張って見せた。

 たしかにフリードマンは一つのモデルである。ただしかなり特殊な「成功したモデル」に過ぎない。努力した人間がみんな成功できるほど、この世の中は甘くない。世の中には「努力したが報われない人間」がゴマンといる。

しかし、そうした人たちはテレビの前にも立たないし、フリードマンや竹中氏のように大学教授になって著作を出版したりはしない。社会のかたすみでひっそり生きるだけである。だから、「みんな同じことができるのです」というのは、フリードマンの勘違いか、詭弁である。

(今日の一首)

 オリオンを頭上にながめて散歩する
 いつか河原で朝焼けの色

 まだ、暗いうちに散歩にでる。空にはオリオンが見える。しかし、歩いているうちに空が白み始める。すがすがしい朝の誕生だ。世俗から離れた、聖なるひとときでもある。歩くことは、私にとってひとつの聖なる行でもある。


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