橋本裕の日記
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| 2007年09月27日(木) |
勤労者が報われる経済学 |
この10数年間で日本は庶民にやさしい平等社会から、大企業を優先し、株主や資産家などの裕福層に手厚い格差社会へと大きく変貌した。統計を見ると、小泉内閣が発足してからの変わりようがとくに大きい。
小泉内閣で資産家優先の経済改革をおしすすめたのは経済学者の竹中氏だった。彼は2000年7月の「日経ビジネス」にこう書いている。内橋克人さんの「悪夢のサイクル」(文藝春秋)から孫引きさせていただく。
<経済格差を認めるか認めないか、現実の問題としてはもう我々に選択肢はないのだと思っています。みんなで平等に貧しくなるか、頑張れる人に引っ張ってもらって少しでも底上げを狙うか、道は後者しかないのです。米国では、一部の成功者が全体を引っ張ることによって、全体がかさ上げされて、人々は満足しているわけです>
市場での競争を優先し、累進課税を廃止し、規制をなくして、格差社会にすることでしか、日本は国際社会で生き残れない。たとえ貧富の格差が開いても、経済成長によって貧しい層の底上げできればいいではないか、というのが竹中氏の考え方だ。
しかし、米国をみても日本を見ても、格差が開くとともに、貧困層は拡大し、その所得もますます低下して、底上げどころか、底が抜けたようになっている。この現状を、竹中氏はどう見ているのだろうか。改革が手ぬるいからだと、強弁するのだろうか。私に言わせれば彼らがやったことは、「構造改革」ではなく、「構造改悪」でしかない。
竹中氏はアメリカに留学して、規制緩和・市場優先の新自由主義経済学で洗脳されてしまった。竹中さんは累進課税の見直しを主張し、「日経ビジネス」などに「頑張ったものが報われる社会をめざすべき」とくり返し書いた。そしてこれが小泉構造改革のキャッチフレーズになった。
私も「頑張ったものが報われる社会」こそ理想の社会だと考える。だからこの言葉には異論がない。しかし現実はどうだろう。米国でも日本でも、このキャッチフレーズどおりにはならなかった。看板に偽りありというところだが、多くの人々がだまされてしまった。いまでも騙されている人たちが大勢いる。
昨日の日記にも書いたが、いま私たちが切実に必要としているのは、「人々をしあわせにする経済学」である。まずは累進課税を強化する方向で見直し、政治による所得の再分配機能を強化することである。最低賃金の水準を上げて、庶民階級の所得を底上げし、格差を是正する政策へと方向転換すべきだ。
財産や地位の世襲化をできるだけ避けるために、相続税率はもっとあげればよい。教育の機会均等はもっとも重要で、親の経済格差が子どもの学力格差に結びつかないように、最低でも義務教育は無償にしなければならない。高校や大学の教育費ももっと安くするか、奨学金制度を充実すべきだ。
こうして人々が自立できる社会的・経済的基盤を築いた上で、あとは個人の頑張りを期待したい。各自の努力の結果が、所得の差に結びつくのは容認すべきだ。お互いが助け合う中で、人々の地道な勤労が報われ、正直者が損をしない公正な社会、これこそが、私たち庶民が望む理想の社会ではないだろうか。
(今日の一首)
小夜ふけてお猪口の酒は松竹梅 ひとくち飲めばはや酔い心地
四ヶ月ほど前から飲みだした清酒の一升瓶が空になったので、あたらしいのを買ってきた。私が飲んでいるのは「松竹梅」である。仕事から帰り、これをお猪口で一杯だけのむのが、無上の楽しみになっている。かっきりお猪口に一杯しか飲まないので、四ヶ月ももつ。酒が好きで、毎晩晩酌するわりに、安上がりである。
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