橋本裕の日記
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| 2007年09月16日(日) |
仏教の説く幸福な生き方 |
人間はだれもが「仏性」(善なる心)を持っている。しかし、境遇や環境によって、いろいろな人間がつくられる。すべての人が善良な隣人というわけではないし、社会に害悪をもたらしかねない人もでてくる。
こうした現実があるので、仏教が「人間はすべて仏の心を持っている」とおおらかな性善説を主張しても、あまり賛同者はあらわれない。むしろ「人間を見たら泥棒と思え」と用心深く構えていたほうが、無難に人生をわたっていけると、多くの人たちは考える。
これはこれで説得力があるし、人々が陰鬱な性悪説に傾く気持もわからないではない。ただ、私自身は「人を見たら仏と思え」という仏教の底抜けに明るい性善説の教えが好きである。できることなら仏教に従い、自分を尊び、他人をも尊ぶ生き方ができればと思っている。
「他人は油断がならない」と考えている人は、自分や家族、国を守ることに熱心になる。そして保守的で強権的な心情の持ち主になる。もし、世の中がこうした傾向の人ばかりになったら、息苦しくて大変である。他者に対する考え方の違いは、その人の生き方の違いになり、社会や政治に対する考え方の違いとなって現れてくるからだ。
自分を守ることばかり考えている人と一緒にいると、こちらの心もよろいをかぶって頑なになる。そして知らない間に心が閉ざされて、ほんとうに美しいものが見えなくなる。そのためによけいに心が頑なになり、結局は人生に心から感動したり、たのしんだりできなくなる。これは本人にとっても不幸だし、まわりの人間もやりきれないものだ。
利害打算ばかりが横行する社会にあって、「人間はすべて仏の心を持っている」と心から信じることができたら、私たちの心は朗らかになる。そしてこの野の花のような清らかさが、多くの人々の心に希望の火を点し、この世に救いと平安をもたらしてくれる。
(今日の一首)
柿ノ木の若木を見れば青蛙 風にゆられてわれを見つめる
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