橋本裕の日記
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2006年10月07日(土) メタ思考のすすめ

 ギリシャの哲学者ゼノンは、左手を広げたまま突き出し、そして握ってみせた。私たちは生きるためにこうして世界を掴む(認識する)わけだ。これが通常の知である。

 つぎに、ゼノンは右手を伸ばし、これで左手の拳を包み込むようにして握った。これによってゼノンは私たちの思考そのものを、もう一段高いレベルから思索し把握するという高度な知の存在を示した。

 ただ生きることにあくせくするのではなく、そもそも「生きるということはどういうことか」を考えてみる。こうしたメタ思考がすなわち「哲学」の本質であることを、ゼノンは両手を使ってわかりやすく説明したわけだ。

 こうしたメタ思考によって、私たちは自分の人生をあたらしい次元からとらえなおすことができる。それはまた、この世のただ中に生きる自分を、もう一段高いレベル、あえて言えば、宇宙の一点から見下ろし、把握し直すということだ。

 英語を勉強していて、日本語と発想が違うなと思うことがたびたびある。そして最近気が付いたのだが、その発想の大きな違いは、この「宇宙の一点から見下ろし、把握し直す」というメタ思考ではないかと考えるようになった。

 たとえば、英語には「What makes you think so?」という表現がある。日本語に直訳すれば「何があなたにそう考えさせるのか」ということだが、もちろんこんな日本語はふつう使わない。「どうして、そう考えるの?」と、もっと直接的な表現になる。

 しかし、「What makes ・・・・?」というメタ思考的な発想は、物事をロジカルに客観的にとらえるには、とても大切なのではないだろうか。こうした発想が自然にできるようになれば、私たちの人生観もかなり違ったものになるのではないかと思う。

 ところで、メタ思考の代表的な例として、「心理学」がある。そして心理学こそまさに、「What makes you think so?」の発想から生まれた学問だといえる。

 たとえば、ある男が何か暴言を吐いたとしよう。たとえば、「女はみんな嘘つきだ」ということでもよい。これにたいして、「いや、そうではない」と反論するのではなく、「どうして彼はそんな風に考えるのだろうか」とメタ思考でその本当の動機を明らかにするのが心理学である。

 そうすると、彼が幼い頃母親に失望したという体験がうかんでくるかもしれない。あるいは彼の最近の失恋体験が、彼にそうした言動をとらせているかもしれないわけだ。

 私の母は、父が仕事から帰ってきて機嫌が悪いとき、「きっと、職場でつらいことがあったのよ」と自分に言い聞かせるように言っていた。そのように考えて、父の理不尽と思える小言なども、胸の中に収めていたのだろう。メタ思考はこうした思いやりや智慧を生み出すことができる。

 私たち教師に要求されるのも、このメタ思考である。これできないと、生徒と同じレベルに立って争うことになる。そうした争いや議論はあまり稔りのある成果をうみださない。

 暴言を吐いたり、非行をおかす生徒にたいしても、私たち教師は「What makes ・・・・?」と、もう一段深いところからその動機を考えてみる必要がある。そうすることで理解が深まり、その生徒にとっていちばんよい接し方も浮かんでくるだろう。 


橋本裕 |MAILHomePage

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