橋本裕の日記
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高校の数学は大学入試には必要な場合があるが、それ以外では役に立たないものの代表のように思われている。確かに微分や積分を日常生活の中で使うことはそう滅多にあることではない。中学校から習う二次関数だってそうだろう。
もちろん数学が好きな人間にとって、役に立とうが立つまいがどうでもいいことだ。知的好奇心の旺盛な人間にとって、数の世界もまた謎に満ちたワンダーランドであり、胸をわくわくさせる感動に満ちた世界なのである。
しかし、この魅力を生徒たちに伝えることは難しい。なぜならすでに生徒たちは小学校や中学校で数学が嫌いになっているからだ。数学が好きな生徒も、よく話を聞いてみると、数学そのものが好きだというのではない。ただテストでいい点がとれるので好きだというだけの場合が多い。
これは仕方のないことだかもしれない。数学を教える教師が、数学を面白いと思っていないのだから。これでは面白さを伝えようがないからだ。たまたま計算が得意で、数学のテストの成績がよくて、何となく数学の教師になったという人もいるだろう。
まだ、それならよいが、小学校で数学(算数)を教えている先生の中には、数学が苦手で、さっぱりわからないという人もいる。子どもが数学を好きになるには、ほんとうは小学校の算数の授業がとても大切なのである。ところが、この大切な時期に、数学の素人の先生が数学(算数)を教えるのだから、子どもたちは気の毒である。
昨日は1年生の授業で、円周角の話をした。「同一の孤(弦)に対する円周角はどれも等しい」という有名な「円の定理」がある。黒板に円をかき、円周角をいくつか書く。書きながら、これはすごいことだなと思う。そして、「どうだ、これって、とても不思議なことだと思わないか」と生徒に語りかける。
昨日の授業では、たっぷり時間をとってその証明をした。「円周角が等しい」ということも驚きだが、もっと不思議なことがある。それはこのことを「証明」した人間がいるということである。そうした不思議な現象が存在するには、必ずそれなりの「理由」があるということ、そしてその理由を言葉で説明することができるということ、これがまた「不思議なこと」であり、人間のすばらしいところでもある。
大切なことは、教師がほんとうにこの世界を不思議だと感じ、人間の知性をすばらしいと感じているということだ。そうすればその気持は生徒につたわる。訳知り顔の生徒は、「こんなこと、あたりまえだ」と思っているにちがいない。それはそうした訳知り顔の教師に、たんなる知識として教えられたからである。
知識は本を読めば吸収できる。教師はもっと別のことを生徒に伝えたいものだ。それは、単なる知識ではなく、「不思議」だと感じ、「面白い」と感じるその貴重な人生体験であり、生きた感情そのものである。それができるのが、生徒の前に生身で立っている教師ではないだろうか。
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