橋本裕の日記
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2006年01月30日(月) 中国留学をするSさんの話

 土曜日にSさんから「会おうか」と電話がかかってきた。「明日、夕方の5時に近鉄名古屋駅前のナナちゃん人形の前で」とすぐに、話がまとまった。Sさんとは金沢大学時代の物理学科の同級生である。金沢で一緒にお寺に間借りをし、同じ釜の飯を食べた仲だ。

 私が名古屋大学の大学院に進学した年に、彼も東京教育大学(現在の筑波大学)に進学している。そして私が教員になった年に、彼も愛知県の数学科の教員に採用された。しかし、その後、ほとんど会っていない。とくに会おうとも思わなかったのは、すでにお互いを知り尽くしているということもあったのだろう。

 ところが今年の年賀状に「本年3月に高校教員を辞し、夏から美術の勉強のため中国で生活します」とあって驚いた。数年前の年賀状にすでに「自分のほんとうにしたいことをするつもりだ」とあったので、大学時代から好きだった絵画でも始めるのかと思っていたが、教員を辞めるとまでは思っていなかった。そこで、私は年賀状の返信に、「ぜひ、飯でも食おう」と書いた。

 20年振りだが、お互いに直ぐにわかった。近くの「かに家」に行って食事をし、そのあと喫茶店で9時近くまで話した。「また、どうして中国まで絵画の勉強にいくの」という問いかけに、彼は次のように答えた。

「6、7年ほど前に、雪舟に出会って、衝撃を受けたんだ。それからあちこちの美術館へ行ったり、庭を見て回ったんだ。そしたら、ますます引かれてね。雪舟からさらに、宋の時代の美術に関心が移って、それから年に何回か台湾や中国に旅行するようになったんだ。そうすると、ますます魅力的な世界が開けてきてね、もう、片手間ではすまなくなったんだよ」

 私は話を聞きながら、Sさんがゴーギャンが好きだったのを思い出した。ゴーギャンをモデルにしたモームの「月と6ペンス」という小説を、私は大学時代にSさんから薦められて読んだことがある。ゴーギャンは株の仲買人をしていたが、突然商売を辞めて、家族を捨てて画家になった。Sさんも同じ様な情熱に取り付かれたのだろうか。

 それにしても定年まで4年を残してやめるなんて、うらやましい限りである。収入がなくてどうしてやっていくのと聞いたら、中国では大学の寮に住む予定だという。

「寝室とリビングがあってね、台所も付いているから自炊もできる。テレビも電話もついているんだよ。大学の食堂は安いけど米がまずくてね、日本から米や味噌を持っていこうと思っている。大学の近くに少し高級なスーパーがあって、そこで買い物をするんだが、それでも野菜や肉を両手に持ちきれないほど買っても300円ほどなんだよ。豚肉なんか日本よりよほどうまいよ」

 寮の家賃が2万円ほどで、大学の授業料や、すべての生活費を多めに見ても、年間で80万円はかからないという。奥さんは教員だし、扶養家族はいない。自分一人が中国で生活するくらいの費用は、この日のためにもう何年も前から手掛けている株のキャピタル・ゲインで間にあうのだという。これもうらやましい話だ。

 最初の一年間は中国語の勉強をしっかりして、次の年からは美術関係の講座を聴講する予定らしい。すでに日本で中国語の個人レッスンを受けているし、中国へも数え切れないほど行っているので、日常会話には困らないという。

 私も去年の9月に行ったセブの語学留学の話をして、「何が楽しいといって、何かを学ぶことくらい面白いことはないね。歳を重ねるにつれて、この気持が強くなるよ」と言うと、「ほんとにそうだね」とSさんも大きくうなずいた。

 Sさんはサッカーのワールドカップの時も中国にいたという。しかし、日本で報道されたような反日的な運動は中国国内では報道されなかったし、実際にサッカーを観戦していた日本人の知人も、現場にいて何も居心地の悪い思いはしなかったという。

「日本のテレビはどうかしているね。同じシーンを繰り返し見せているだろう。ほんの一部のことを全体のように印象づけているんだよ。何か政治的な意図を感じてしまうね。小泉さんの外交感覚のなさにはあきれるよ。中国の方がはるかに上手だと思うね」

 中国の大学の先生から聞いた話では、中国共産党も極右から極左まで、とても幅が広くて、いろいろな派閥があり、いろいろな意見があるという。その一部の意見だけ取りだして、それを全体だと考えるのは、たしかに大きなまちがいだろう。

 敵意や悪意は鏡のようなものである。Sさんのように中国の文化を尊敬し、積極的に学びたいという人には、中国の人々も温かく応援してくれて、限りなく寛容で、親切であるようだ。またそのような懐の大きな国だからこそ、Sさんも安定した収入を捨て、家族とも別れて、中国で生活することを決意したのだろう。


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