橋本裕の日記
DiaryINDEX|past|will
| 2006年01月17日(火) |
文章術を身につけよう |
作家の清水義範さんが「週刊現代」に「サラリーマンのための実践的文章術」を連載している。私はこれを楽しみにして毎回読んでいる。これを読めば実践的な文章の書き方がよくわかる。
ただし、こうしたたぐいの文章はただ読んでいるだけでは意味がない。それはいくら水泳についての本を読んで、水泳についての知識をためこんでも、実際に水で訓練しなければおよげないのと同じである。
しかし、水の中に入り、いったん「泳ぎ方」を体で覚えてしまえば、それは一生使える。しばらく泳いでいなくても、水に入れば自然と体がうごくわけだ。文章を書くこともこれと似ている。このあたりのところを、清水さんは「自転車乗り」にたとえて、こう書いている。
<文章を書くことと、自転車に乗ることは少し似ている。自転車に一度乗れるようになったら、十年ぶりに乗ってみても自然にうまくこげるものだ。乗り方を体が覚えているのである。
文章を書くこともそれとよく似たところがあって、文章をある程度の量書いて、ある程度うまくなったとしたら、もうそれ以降はそこまでのレベルのものは難なく書けるのだ。書き方を体が覚えてしまうからだ。
おそれて何も書かないのは、スケートリンクにスケート靴をはいて立つこともしないで、私は滑れないと言っているのと同じだ>
自転車に乗れるようになると、新しい世界が拡がる。そのときの感動をだれしも覚えているだろう。どうように、文章が書けるようになると、自分の思考の世界が拡がる。そして自分の意見を持ち、それを社会に向けて発信することにより、他者ともっと深く交流することができる。そこに新しい人生が生まれるのだ。このあたりのことを、清水さんはこう書いている。
<人間は社会の中にその一員として存在するものであり、特殊なケースを除いては、それが生きやすくて、楽しいのである。そして、社会の中に存在するというのは、その中で自分はこう思うと発言してこそ成り立つのである。そうしてこそ人生の喜びもある。
だから下手かも知れないと尻込みしないで、どんどん書くのだ。そうすれば必ず書いた分だけうまくなり、仕事が楽しくなり、人生が充実したものになるのである>
<とにかく文章を書けば、絶対何かが伝達される。書いた人がどういう人間であるかがわかるのだ。うまくないからと尻込みして書かないのは、私のことは無視して下さいと言っているようなものである。だからこわがらずにどんどん書けというのがいちばん根本のアドバイスなのだ>
とにかく、日記でも何でも好きなことを書いてみる。そして、できればそれを親しい人に読んでもらう。あるいはインターネットで発信してみる。そうしてたくさん書いているうちに、しだいに書く技術が洗練される。書くことは自分の思考ばかりではなく、感性をもゆたかに広げ、人生をいっそう楽しくて意義のあるものにしてくれる。これはもう、間違いのないことだ。
|