橋本裕の日記
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2006年01月16日(月) ストア哲学とキリスト教

 イエス・キリストが存在しなければ、キリスト教は存在しない。人類の歴史も大きく変わっていただろう。同様なことが、パウロにも言える。パウロがいなくても、キリスト教は存在したかもしれない。しかし、それは随分違ったものになっていただろう。

 パウロによって、まさにユダヤ民族のキリスト教は人類のための世界宗教になった。パウロの歩いた2万キロの伝道の道は、そのための希望の道であった。その道は小アジアからギリシャを通り、ローマへと続いていた。

 パウロは生まれながらにしてローマ市民権をもつユダヤ人だった。しかも、彼はタルソで生まれ育った。タルソはアテネ、アレキサンドリアとならぶギリシャ文化に彩られた商業都市である。パウロはギリシャ語に自在であるばかりでなく、爛熟したヘレニズム文化のかぐわしさを知った国際的教養人だった。

 キリスト教が成立するあたり、ローマ帝国の存在は不可欠だといわれる。ローマ帝国という巨大な池があったので、キリスト教はそこに大輪の花を咲かせることができた。帝国という豪奢な池に咲いたその花は清浄で美しかった。それは泥中に咲く蓮の花を思わせる。

 ローマ帝国については、多くの史書が残っている。この人類史に輝く巨大な帝国について書かれた書物は数知れないし、これからも書かれるだろう。とくに「帝国はなぜ滅びたのか」ということについて、いろいろな議論がある。これについて、森本哲朗さんは「神の旅人」にこう書いている。

<ローマ帝国がなぜ滅びたのかを問題とするより、この帝国がなぜこれほど長く存続し得たのかにおどろくべきだ、といったのは「ローマ帝国衰亡史」の著者ギボンである。それに倣っていうなら、かくまで悪業を重ねてきた人類が、なぜ滅亡せずに生きながらえているのか、それにおどろくべきだろう。

 その理由はただひとつしか考えられない。人間のなかに立派な人がいたからである。そして人間の魂に一片の良心が消えることなく生きつづけてきたからだ。立派な人とは神の声に耳を傾ける人、良心とは神の命に従おうとする魂、正しく生きたいと願う希求である。その希求があればこそ、人類は生きながらえることができた。想像を越える悪業にかかわらず。

 ローマ史に登場する三人の人物、キケロ、セネカ、そして皇帝アウレリウスは、いすれもストア派の哲学を修めていた。その哲学はとくに倫理を重視し、すべてに神の刻印を見た。宇宙は神の摂理によって運行し、理性(ロゴス)がその本質をなすと考える。したがって、自らのうちに理性を持つ人間は小宇宙ともいうべき存在であり、理性を自覚するかぎり、人間は神の子であり、平等であると説く。ローマの頽廃を救ったのは、ほかならぬこのストア哲学だった。

 だがギリシャに発するこの哲学思想は、ローマの賢人たちに真剣に受け継がれたにもかかわらず、一般大衆のなかには入っていかなかった。帝政ローマ時代の市民たちは、悪徳と頽廃のなかで、すきま風を受けるように一抹の不安を抱き、空しさを感じ、悔悟に似た心情で救いを求めていた。けれども、ストア哲学は彼らの渇仰にこたえられなかったのだ。なぜか。

 一言でいうなら、その哲学はきわめて個人主義的だったからである。あまりに理性的であり、論理的であり、観照的であり、高踏的でありすぎた。ストア哲学の説く生き方とは、宇宙のロゴスに従うこと、具体的にいうならば、パトス(情念)につき動かされることのない静かな生活、自然にかなった調和のとれた生活をめざすこと、欲望などにそそのかされることのない不動の心(アパティア)を養うこと、つねに魂の平安(アタラクシア)のなかに住むこと、にほかならない。

 よく考えよ。空しい悦楽や欲望に身をゆだねることなく、いたずらに世俗のなかを右往左往することなかれ! たしかに、それは傾聴に値する警告かもしれない。しかし、そう説かれても、一般の人たちはどうしたらいいのか。そこには残念ながら思想はあっても、具体的な指針に欠けていた。そして一般の大衆、最も救いを希求していた貧しい人びとにさしのべる手がなかったのである。

 このようなストア哲学を充分に身につけ、しかもそれを越えて、人びとに心から共感できる救いの手をさし出したのが、パウロその人であった。その教えはストア哲学が気付かず、気付いてもほとんど意に介さなかった「愛」の一語に尽きる>

 ストア哲学はローマ帝国の良心かも知れないが、それはあまりに高尚すぎて庶民に救済を与えることができなかった。考えてみれば、ストア哲学を代表するセネカは、ネロの家庭教師でありながら、ネロを暴君に育ててしまった。そのあげく、ネロに殺されている。ネロに必要なのは宇宙のロゴスの存在を説く高尚な思想ではなかった。ネロに必要だったのは、もっと身近な「愛情」であったのだろう。

 森本哲朗さんの「神の旅人」を読み、聖書を読みながら、パウロの足跡をたどる旅はなかなか楽しくもあり、新しい発見に満ちていた。キリスト教がどうした過程で育っていったかよくわかった。

 パウロのことを考えながら、私の脳裏にもう一人の宗教家の名前が浮かんだ。それは親鸞である。パウロが「神の旅人」だとすると、親鸞は「仏の旅人」だろうか。この二人は生きた時代も場所もまるで違っているが、その精神や生き方がよく似ている。


橋本裕 |MAILHomePage

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