橋本裕の日記
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2006年01月10日(火) パウロへの旅

 今年の正月休みは、どこにも旅をしなかった。ときおり出かけたのは、木曽川を渡って隣の笠松町までの徒歩の旅である。妻と二人で古い街並みを眺めながら、神社まで歩いた。帰りに鯛焼きを買い、木曽川の河原でひなたぼっこをしながら食べた。

 散歩から帰ると、読書をした。いろいろな本を読んだが、なかでも森本哲朗さんの「神の旅人」がおもしろかった。これは聖パウロの伝道の道を、森本さん自身が自分の足でたどった旅行記である。

 これを読んだ後、何年ぶりかで聖書を読んだ。福音書はよく読んだが、「使徒行伝」やパウロの手紙はこれまであまり読まなかった。「神の旅人」を読んだ後でこれらを読むと、その内容がとてもよくわかった。なんだか2000年も昔のパウロの時代にタイムトラベルしたようなスリリングな体験だった。

 ガテレア人にあてたパウロの手紙は「キリスト教誕生」の文書だと言われている。森本さんも、「この手紙によってキリスト教は、はっきりとユダヤ教から独立し、ユダヤ教の律法主義から解放されたのである」と書いている。

<あなたがたはみな、キリスト・イエスにある信仰によって、神の子なのである。キリストに合うバプテスマ(洗礼)を受けたあなたがたは、皆キリストを着たのである。もはや、ユダヤ人もギリシャ人もなく、奴隷も自由人もなく、男も女もない。あなたがたは皆、キリスト・イエスにあって一つだからである>(ガテレア人への手紙)

 ところでこのガテレア人とは何者だろうか。私は彼らがカエサルの「ガリア戦記」に出てくるガリア人だとは知らなかった。もう少し言えば、ガリア人はケルト人のことである。ローマに征服される前、ゲルマン人がヨーロッパに棲みつく前、ヨーロッパはケルト人の大地だった。

 ヨーロッパの先住民族であったケルト人は、ローマに追われて、一部はアイルランドに逃れたが、多くはローマ帝国にのみこまれてしまった。パウロの時代はまだその末裔が各地に棲息していたようである。

 パウロが伝道したガテレア人はどこに住んでいたのだろう。森本さんによれば、彼らは前3世紀のはじめに、ヨーロッパからギリシャを通り、小アジアに移住してきた人たちだという。

<午後の陽はもう西に傾いていた。そして、車は倒れかかった標識が一本ポツンと立っている荒野の真ん中に停まっていた。私は目をこすりながら車をおり、標識の消えかかった文字を読んだ。「ピシディアのアンティオキア」とあった。あたり一面に鬼アザミが枯れながらも薄紫の花を必死に支えていた。

 ここがアンティオキアか! 「使徒行伝」によれば、この町の会堂で福音をつたえたパウロとバルナバのあとを大勢のユダヤ人や信心深い改宗者たちがついてきて、つぎの安息日にも同じ話をして欲しいと、しきりに頼んだという。そして、「次の安息日には、ほとんど全市をあげて、神の言葉を聞きに集まってきた」とある。ここは南ガテレアの首都でもあったのだ。

 だが、いまはアザミだけが咲いている。私は額の汗を拭い、おそらくその群衆のなかにいたであろう信心深いガテレア人の姿をいつまでも胸中に描いていた>(森本哲朗「神の旅人」)

 イエスはマタイ福音書の中で、「道端に落ちた種」や「いばらの地に落ちた種」について述べている。いくら種をまいても、荒地に蒔いた種は育つことができない。しかし「良い地」におちた種は実を結び、60倍にも100倍にもなる。

 パウロはガテレア人の純朴な心のなかに、「良い地」を見いだして、熱心に種を蒔き続けた。そしてここから、たくさんの実が育って行った。


橋本裕 |MAILHomePage

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