橋本裕の日記
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2006年01月08日(日) 「You are OK」の世界

 人が人として成長して行くにあたって、生後3ヶ月の期間がたいへん重要だといわれている。この期間に赤ん坊は親との信頼感関係を築き、人生に対する態度を学ぶ。自己と他者について、生涯に及ぶ基本的な姿勢を獲得するわけだ。

 母親や周囲の愛情に包まれ、大切にされた赤ん坊は、自分がこの世界に祝福されていることを感じる。そしてこの感情が、他者への信頼の基盤となり、自己への信頼の基盤になる。そしてこの信頼の基盤の上に、さまざまな人生の邂逅を通して、その人独自の人間性が育てられる。

 しかし、この期間に愛情に恵まれなかった赤ん坊は、人生に対する信頼の基盤が脆弱だから、自分や他者を信じることができない。中尾英司さんは「あなたの子供を加害者にしないために」(生活情報センター)のなかで、生後3ヶ月の生活環境が決め手になって、人はおおむね次の4つのタイプの人生についての基本姿勢を持つと書いている。

(1)お互いを認める、I am OK. You are OK。
(2)人のせいにする、I am OK. You are not OK。
(3)自分はダメだと思う、I am not OK. You are OK。
(4)虚無的な、I am not OK. You are not OK

 基本姿勢として望ましいのは、自己に対しても他者に対しても受容的な「I am OK. You are OK」であろう。こうした人間に育てるにはどうしたらよいのか。中尾さんは「無条件な愛情」と「人間として尊重」することが大切だという。そして次のように書いている。

<つまり、親として当たり前のことを当たり前にやっていれば、前向きな子どもに育つということです。が、自由競争の価値観はこの二つを侵害します。条件付きで愛情を与え、つい子どもの尻をひっぱたいてせかすのです。親自身が自由競争の価値観と対決しなければならないことがわかります>

 競争的価値観で育った共感力に乏しい親は、「しつけ」の名のもとに、子どもを操り人形にし、子どもの成長を奪い、人間不信の孤独世界へと追いつめる。しかも共感力に乏しい親たちや教師は、こうして人生を奪われた子供たちの悲鳴に声をかたむけることもできない。その結果、酒鬼薔薇事件のような世間を震撼させる少年犯罪も起こってくる。

<Aの母親はしつけをいそぐあまり、この三カ月をとばしました。もちろん生まれた子を愛していたでしょう。が、「赤ちゃんを理解する」ことよりも「赤ちゃんにしつけをする」ことを優先したように思います。

 それは、『長男Aをある程度キチンとしつけていれば、後に続く子も上を見て育つ』そういう意識が確かにあったと書いているところにも表れています。二歳のAに茶碗を流しに持っていかせるなど、常にしつけを急ごうという意思が働いていたように思います。Aの側から見れば常に要求を受け続けていたわけです>

 子供たちはやがて、自分が受けたのと同じことを、他人に繰り返す。犯罪を犯す人たちの多くはあまり自責の念をもたないという。それは「自分が受けたことと同じ事をしているだけだ」という意識があるからだろう。

 親や教師が知らず知らずに子どもを傷つけ、傷つけられた子どもは、のちにそのお返しをするわけだ。犯罪者にならないまでも、「I am not OK. You are not OK」という虚無的な姿勢で人生を生きることになる。

 もちろん、赤ん坊の三ヶ月で人生がすべて決まるわけではない。虚無的な姿勢を持って成長した人も、何かを転機にして、魂が「I am OK. You are OK」の世界に蘇ることがある。

 そういう人たちは、苦しい人生行路を経験しているだけに、その喜びは大きく、その体験を「生まれ変わり」として意識する。人類史に名前を残している思想家や芸術家は、多かれ少なかれ、こうした蘇生体験をもっているようだ。


橋本裕 |MAILHomePage

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