橋本裕の日記
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| 2006年01月05日(木) |
熟年離婚は避けられるか |
これから数年間、団塊世代がぞくぞくと退職していく。そこで予想されるのが「熟年離婚」の増加である。会社を退職して家庭の人となったとたん、妻の方から「別れて下さい」と言われる。
家族のために我慢して働き、退職後の甘い夫婦生活を夢見ていた夫にとって、これはまさに寝耳に水だ。おまけに子供たちも妻に味方する。いきなりひとりぼっちになった夫は、なぜ、こんな理不尽な仕打ちをうけなければならないのかわからない。しかし、これは妻の立場に立てばわかることだ。
定年間際ともなれば、おおくの人は部下をもつ管理職だが、会社でいばっていた人も、退職してしまえばただの人。家庭でもつい、会社の癖がでて、家人にいばりたがる。人を支配し、自分の思うとおりにならないと面白くない。
しかし、家人は部下ではないから、オヤジの権力者面におべっかいを使わない。たとえ夫が月給を稼いでいたときはおべっかいをつかっていた妻も、退職すればその必要もなくなる。おべっかいを使われ、威張ることに馴れていた人は、怒り、当惑し、やがて自分の無力を自覚する。愚痴を言ってもしかたがないとわかると、あとは無気力、無関心になり、呆けるしかない。
こういう男のことを妻たちは「産業廃棄物」と呼ぶらしい。もはや人間扱いではなく完全な「粗大ゴミ」あつかいだ。哀れな末路というしかないが、私を含め、これから退職する団塊の世代にとっては他人事ではない。
あくせくはたらき続け、無事退職し、さあこれから妻と水入らずで人生を楽しむぞと思っている人も多いのだろうが、現実はそう甘くないわけだ。「週刊新潮12/22号」に作家の渡辺淳一が「熟年離婚」と題してこう書いている。
<多くのサラリーマン家庭では、夫は朝早くから会社に出かけ、帰りは遅く、家に戻ってからは眠るだけ。「亭主元気で留守がいい」で、長年、妻はその状態にならされてきた。
ところが夫の定年退職を境にして、この生活のリズムが一変する。いままでいないも同然だった夫がどこにも出かけず、朝から晩まで家にはりついて動かない。くわえて朝、昼、晩、「めし」といって、口を空けて待っている。
さらに妻が外出しようとすると、「何処へ行くんだ」「何時に帰るんだ」ときく。帰りの時間が少しでも遅れたらぶつぶつ文句をいう。
夫は定年退職をすると、体力も気力もめっきり衰え、「産業廃棄物」となった夫はもはや妻の若さにはかなわない。海外旅行に行っても、自分から地図をひろげたり、切符を買ったりせず、すべて妻まかせ。妻から見ると「手間ばかりかかって、面白くもおかしくもない」と夫に嫌気が高じる。これが最近はやりの熟年夫婦の「成田離婚」の実態だという。
定年後の甘い生活を夢みている団塊世代にとって、その現実は甘くないことを認識すべきだろう>(あとの祭り、熟年離婚)
先日、ホテルへ友人とランチを食べに行ったときも、まわりは女性ばかりだった。30代から50代くらいまでの女性達が、カップルで、あるいはグループで楽しそうに会話しながら食べている。「女性ばかりだね」というと、友人は「あたりまえだよ。父ちゃんはいまごろ会社で必死で働いているんだから」と笑っていた。
女性達はカルチャーセンターに通い、文化や教養を身につけ、情報も豊かで友人との会話をたのしむ術も身につけている。それにくらべて、働き蜂の男性たちは文化に親しむゆとりはなく、洗練された会話力もない。妻との文化格差は夫の知らないうちに拡がってきている。産業廃棄物と呼ばれ、妻から離縁状を突きつけられる前に、私たち男性も生き方を考え直す必要がありそうだ。
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