橋本裕の日記
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妻が暮れに小川洋子さんの「博士の愛した数式」を読んでいた。感想を聞くと、とってもよかったという。私は発売された当時、北さんに薦められて、学校の図書館で一番に借りて読んだ記憶がある。この日記帳でも紹介した。
その頃、数学教育研究会に出席したが、多くの数学の先生も読んでいて、絶賛していた。小説の形をとおして、数学の世界の奥の深さや、神秘的な美しさがうまく描かれている。生徒達にも読んでほしい一冊だ。もうすぐ映画も公開されるようだから、たのしみである。
数学者が小説の主人公になることは珍しい。数学と聞くだけで、拒否反応を起こす人も少なくないだろうし、数学者は理屈っぽくて偏屈で、浮き世離れしていて、あまり人間性に魅力がないという、ステレオタイプの先入観もある。
しかし、数学者も人間だ。むしろ世間の人に負けず純粋でロマンチックなところもある。そうした数学者の一面をうまく捉えて成功したのが「博士の愛した数式」なのだろう。
数学者が主人公の小説といえば、最近では東野圭吾さんの「容疑者Xの献身」がある。これも北さんに薦められて、図書館に行くたびに探しているのだが、まだ手に入れてはいない。ただtenseiさんが1/2の「tensei塵語」で紹介してくれた。これを読んで、ますますこの小説が読みたくなった。全文を引用させていただこう。
−−−−− 東野圭吾「容疑者Xの献身」 −−−−−
30日の夜に読み始めて、31日までに半分くらい読んでいたのを、昨夜から今朝にかけて読み終えた。読み始めたら、読みたい読みたいという思いに突き動かされて、短い間隙にもほんの数ページでも読み進めたくなる。数学者の築いた綿密なトリックと、彼に敬意を抱く物理学者の推理。。。実に緊迫したドラマだった。
確かに、「このミステリーがすごい!」である。「半落ち」もそうだったけれど、事件やトリックの解明もさることながら、人間の心の謎に迫っているところが大切なのだ。
「身体を拘束されることは何でもない、と彼は思った。 紙とペンがあれば、数学の問題に取り組める。 もし手足を縛られても、頭の中で同じことをすればいい。 何も見えなくても何も聞こえなくても誰も彼の頭脳にまでは手を出せない。そこは彼にとって無限の楽園だ。
数学という鉱脈が眠っており、それをすべて掘り起こすには、一生という時間はあまりにも短い。誰かに認められる必要はないのだ、と彼は改めて思った。論文を発表し、評価されたいという欲望はある。だがそれは数学の本質ではない。誰がその山に最初に登ったかは重要だが、 それは本人だけがわかっていればいいことだ」(P343)
「花岡母娘と出会ってから、石神の生活は一変した。自殺願望は消え去り、生きる喜びを得た。2人がどこで何をしているのかを想像するだけで楽しかった。世界という座標に、靖子と美里という2つの点が存在する。彼にはそれが奇跡のように思えた。日曜日は至福の時だった。窓を開けていれば、2人の話し声が聞こえてくるのだ。内容までは聞き取れない。しかし風に乗って入ってくるかすかな声は、石神にとって最高の音楽だった」(P344)
「彼女たちとどうにかなろうという欲望はまったくなかった。自分が手を出してはいけないものだと思ってきた。それと同時に彼は気づいた。数学と同じなのだ。崇高なるものには、関われるだけでもしあわせなのだ。名声を得ようとすることは、尊厳を傷つけることにもなる。
あの母娘を助けるのは、石神にとって当然のことだった。彼女たちがいなけれは、今の自分もないのだ。身代わりになるわけではない。これは恩返しだと考えていた。彼女たちは身に何の覚えもないだろう。それでいい。人は時に、健気に生きているだけで誰かを救っていることがある」(P345)
こうだから尚のこと、我々読者はこの作品のラストで泣かされてしまうのだ。
http://www.enpitu.ne.jp/usr1/bin/day?id=18221&pg=20060102 −−−−−−−−−−−−−−
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