橋本裕の日記
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2006年01月03日(火) お任せ民主主義から脱却

 最近、「インターネット新聞」を読むようになった。市民による、市民のための、しかもインターネットを利用した購読料のいらない新聞である。庶民の力になってくれる有り難いメディアだ。

 http://www.janjan.jp/

 1月1日のトップに竹内謙さんという方が、「総務省の公選法解釈は憲法違反だ!」という記事を書いている。竹内さんが大学での講演会で「選挙運動にインターネットを使えると思うか?」と尋ねたら、大部分の人たちが「使えない」に手を挙げたという。

 しかし当然ながら1950年にできた公職選挙法のどこをみてもインターネットに関する規制は一言も触れられていない。ただ、総務省が10年ほど前から「使えない」という法解釈を示してきた。それに多くの人たちが従順に従っていることを知って、竹内さんはちょっとがっかりしたという。

 公選法ではハガキ、ビラなど選挙運動に使える文書が定められていて、それ以外の文書頒布は禁止されている、そして総務省はインターネットのHPも「文書配布」にあたるという。

 しかし、ホームページは見たい人が自発的に見に行くのであって、配られるわけではない。官僚が公職選挙法を勝手に解釈して選挙運動を規制するのはおかしい。問題があるのなら、官僚の解釈にまかせるのではなく、国会で議論して法律を定めるべきだろう。竹内さんこう主張して、政治的背景を次のように分析している。

<なぜ、こんな解釈がまかり通ってきたのか。旧来型の選挙は、政官財癒着の利権構造と労働組合、宗教団体による集票構造に支えられてきた。インターネットは、だれもが選挙に参加することを容易にし、選挙を有権者本位、政策本位に変革する可能性がある。となれば、旧来型の選挙構造は崩れかねない。そんな不安を抱く政治家たちが、総務官僚に「ネット選挙禁止」の解釈を強いてきたといってもいい>

 そもそも公選法の本来の精神は「カネのかからない、公平な選挙」のために選挙戦に使える「武器」を対等にしようということだった。この趣旨からしても、インターネットがこのまで普及した現在、その政治的利用を規制するのは、もはや時代遅れだろう。

<候補者や政党が政策や主張を有権者に伝えるのに、これほど便利で、安上がりなツールはない。つまり、インターネットは公選法が「文書図画の頒布」を制限してきた根拠を奪い、総務省の解釈はいまや、憲法違反の状況になっているのだ。

 ネット選挙に背を向けてきた自民党がようやく重い腰を上げ、07年参院選からの適用を目指して、今年の通常国会に公職選挙法の改正案を提出しようと作業を進めている。諸外国がインターネットを自由に選挙運動に活用していることからみると、遅きに失した感はあるが、ぜひネット時代にふさわしい選挙制度を早急に実現してほしいと思う。・・・

 戦後60年。一刻も早く「お任せ民主主義」を返上しないと、この国の将来は暗い。そのためには、民主主義の基礎を支える選挙を国民主体のものにすることが肝要だ。ネット選挙の解禁は、その絶好のチャンスである>

 経済の方は一足先に「ネット株」の時代がはじまった。しかしネット株はだれでも参加できるとは限らない。経済的にゆとりのある人しか参加できないからだ。したがってこれによって貧富の二極分化がはじまり、経済格差が助長されるおそれがある。

 これに対して、「ネット選挙」の方は、だれでも平等に一票を行使することができる。これによって政治格差が生まれる心配はあまりない。ネット選挙が解禁になれば、「きっこ」さんのような人気ブログの作者がネット候補としてもてはやされるかも知れない。庶民にとって面白い時代になる。

 小泉構造改革でいう「小さな政府」のねらいは、政治による経済の干渉を小さくしようということだ。政治をなるべく排して、生活全般を経済原則にゆだねようということだ。しかし、経済の分野は、だれもが平等な権利を持っているわけではない。それは富者であるほど有利な権力構造をもっている。

 私たちは経済に対する政治の優位を手放すべきではない。そのためにインターネットを武器にして、「お任せ民主主義」を脱却しよう。


橋本裕 |MAILHomePage

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