橋本裕の日記
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2006年01月01日(日) 温故知新

 去年は12月のうちに寒波が日本列島を何度も襲い、各地に記録的な積雪を残した。一宮市のわが家でも家族を動員して雪かきをした。大学の馬術部の部長をしている次女は、馬場の除雪がたいへんで、「馬術部」だか「除雪部」だかわからないとこぼしている。今日も朝5時に、真っ暗な中を飛び出して行った。

 福井生まれの私は、このくらいの雪では驚かない。雪道を長靴を穿いて毎日木曽川まで散歩に出かける。山々の稜線が白く染まり、日差しに映える雪景色がうつくしい。この数日間は青空が覗いたが、気温が低かったせいか、雪は山々や田んぼ、道端にも残っている。

 昨年のわが家の出来事を振り返ると、4月に長女が大学を卒業して看護士になった。それから、私も7年間勤務した高校から、名古屋市にある夜間定時制高校に転勤した。転勤先が偶然、20年ほど前に8年間勤務したことがある高校だった。これは、「教育の原点にもどり、人生の初心に立ち返りなさい」という、神様の励ましなのだろう。

 その原点を見つめ直そうと、年の暮れに20年前の日記を読み返した。1985年2月2日に次女が生まれている。長女はその頃は2歳〜3歳で、私は夜間定時制高校にきて3年目になっていた。

−−−−1985年10月13日(月)の日記−−−−

 目が覚めてから朝食までの1時間ほどを寝床でぼんやり過ごす。妻が下の子にかかりきりになっているので、私は長女の相手役ということで、寝るのも一緒だ。
「パパちゃん、おきた?」
 早起きの長女の声に、私は狸寝入りをきめこむ。

「パパちゃんいなくなったらいやだよ、いなくなったら、泣くよ。パパちゃんがいたら、笑うよ」

 今日は長女がこんなことを2回も口にした。どういう風の吹き回しだろう。子供なりに、何か感じているのだろうか。長女が妻の方に行ってから、私は目を開く。いじわるな父親である。

 枕元には赤いラジカセがある。長女がいなくなってから、それでモーツアルトやベートーベンのカセットをヘッドホーンで聴く。最近よく聴くのが「田園交響曲」だ。とくに私の好きなのは、嵐の後の「牧人の歌」の旋律だ。これがこころにしみる。

 長女がやってきたので、ヘッドフォーンを外して、片手を差し出す。
「おこしてほしいの?」
「そうだよ」
「明日から、自分でおきなさいね」
 そんなませたことを言いながら、長女はいつものように、幼い体をうしろにそらして、私の手を引いてくれた。

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 日記は「過去からの贈り物」である。それを読むと、ありし日の人生の断面が鮮やかに浮かんでくる。幼い体を後ろにそらして私を起こしてくれた長女は23歳になり、冬のボーナスで私にセーターをプレゼントしてくれた。今、それを着て、この日記を書いている。

 白髪がふえ、眼鏡がないと本も読めなくなったが、まだ熟年というには早い。昨年はフイリピンのセブの語学学校に2週間英語留学したが、今年も持ち前の好奇心と探求心で、新たな人生に挑戦したい。

 それではみなさん、旧年中はありがとうございました。
 今年もよろしくお願いします。


橋本裕 |MAILHomePage

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