橋本裕の日記
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| 2005年12月12日(月) |
「そのとき歴史は動いた」の舞台裏 |
NHKの番組の中で、私が一番評価しているのは、「クローズアップ現代」でこれは毎回見ることにしている。それでは一番見たくないものは何かといえば、日曜日の8時からはじまる「大河ドラマ」である。
これはエンターテイメントとして楽しめばよいのだろうが、NHK特有の権力主義的な歴史観が鼻について、見る気がしないだけでなく、見ていると気持が悪くなる。上層部の古い封建的な体質と、視聴率を気にした人気取りの混合という、この奇天烈なカクテルは私にいつも悪酔いをもたらす。しかし、最近は見ていないのでこれ以上の批判はひかえよう。
NHKの歴史物でときどき見るのが「そのとき歴史は動いた」である。しかし、これも見た後、きまってある種の不快感に襲われる。根本的には「大河ドラマ」と同じ「歴史歪曲」という不愉快な要素があるからだろう。
こういうNHKのお粗末な番組を見ていて、専門家は不快感を感じないのだろうかと疑問に思っていたが、実際にNHKの番組製作にかかわってきた明治維新を専門とする歴史家の田村貞夫(静岡大学名誉教授)さんの「NHK『歴史は動いた』からの決裂」という文章を読んで、専門家もやはり同じ様な不満を持っていることを知った。
<NHK歴史番組「その時歴史は動いた」の制作をしている大阪放送局から協力要請があった。テーマは「ええじゃないか」。二〇〇四年八月のことである。
八月十九日に担当ディレクターがわたしの住んでいる東京都町田市にやってきたので、わたしはパソコンのパワーポイントで解説をし、三河の御札降り以前の五月末から始まる「ええじゃないか」の意義を説いた。すなわち長州征伐の制札を下ろした時の大坂高麗橋の「時之声」(鬨の声)を再現すること、また大阪市立歴史博物館の天保蝶々踊りの絵と名古屋市立博物館の高力猿猴庵の御鍬祭の絵を用いることを力説した。さらに一〇ページに及ぶ詳細な「ええじゃないか」文献目録を渡した。
その後出演交渉を受け、承諾した。放映予定日は十月二十七日(水)とのことであった。>
<三日に次のようなメールが来た。これは今までの先方の説明とはまったく異なったものであった。主題は王政復古で、歴史が動いた「その時」を王政復古の十二月九日とされていた。これはわたしの要望とはまったく違うものであった。まさか王政復古が主題とは事前に一言の説明がなかった>
<わたしは「ええじゃないか」のみで番組を作ることを要求した。政治過程との無理な接合には反対だからである。
どうしも政治過程にこだわるのであれば、またわたしは「その時」を王政復古ではなく、せめて大政奉還にすることを要求した。大政奉還以後「ええじゃないか」は大爆発するからである。王政復古からは収束に向かうのだ。
しかしもう時間がない、五日午後しかスタジオを取れないというのである。多少台本を手直しするとしても、ナレーション入れは強行するというのである。それでは出演できない。結局五日昼前に六日のビデオ撮りは中止と伝えられた。交渉は決裂した。大阪に来るに及ばずということであった。こんな失礼なことはないだろう。
すでに送られてきていた新幹線の往復切符(グリーン)は、捨ててくれという。もったいないので有難く使わせて頂くことにし、三田市の朝野家に行き、大阪の高麗橋、なんば神社、御霊稲荷を見て歩いた。
途中NHKが会いたいというので、大阪駅で会った。担当ディレクターとその上司である。わたしは牟呂八幡宮の森田家文書が一九四五年六月二十日の豊橋空襲のさなかに、救出された経緯を話し、その後大切に保存されてきたこと、今は豊橋市の指定文化財になっていることを指摘し、興味本位で、いい加減な番組を作って欲しくないと要望した。今回の扱いで、世間にはこの史料の価値が誤って流布されるとわたしは指摘した。NHKの態度に、史実に基づいた番組ではなく、エンターテイメントだという態度が感じられるからである。
このトラブルは、にわか勉強のディレクターに責任があるが、旧説にこり固まった番組上層部の保守的態度が最大の原因である。ディレクターは高麗橋の場面を提案したらしいは一蹴されたらしい。上層部の無知と不勉強の所産である。
今、問題になっているNHKの海老沢体制と関係あるかどうかは知らない。かってタクシーの運転手を土足で蹴飛ばしたというアナウンサーの粗暴な態度の反映かどうかも分らない>
<新聞記者もテレビ・ディレクターも本を読まないらしい。すべて耳学問である。それを自分の高校程度の知識に接木し、新発見とか新見解といって騒ぐのである。
ただ東京の大新聞と地方新聞、テレビでは中央のキー局と地方局とは、区別しておく必要がある。地方新聞の記者や地方テレビのディレクターは、地元の歴史の発掘という熱情があり、きわめて熱心で、よく勉強している。われわれよりはるかにくわしい知識を持っておる場合が多い。
ところが大新聞の記者やNHKのディレクターは、地方に来ても三年程度で転勤する。こういう人びとに、地域の歴史を丁寧に話し、新史料発見の苦労を話しても、ようやく分ってくれかけた時期に転勤してしまう>
実際にNHKの番組制作にかかわってきた学者の文章だけに説得力がある。NHKをはじめ多くのテレビ局でいかに杜撰な番組作りが行われているか、その舞台裏がよく分かる話である。
(参考サイト) http://www1.vecceed.ne.jp/~swtamura/NHK1.htm
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