橋本裕の日記
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今日は何の日か答えられる人は少ないのではないだろうか。64年前の今日、日本は真珠湾を攻撃し、太平洋戦争をはじめた。今日は太平洋戦争の開戦記念日である。日本はこの日、戦争終結への具体的な戦略を持たずに国力が何十倍も違うアメリカに無謀な闘いを挑んだ。
ところで真珠湾攻撃は、あきらかに失敗だった。まず、無謀な闘いという意味で戦略的にまずかった。真珠湾を奇襲されたことで、アメリカの世論が一気に戦争へと傾いた。これについて、靖国神社の遊就館には次のように書かれているという。
<大不況下のアメリカ大統領に就任したルーズベルトは、昭和十五(一九四〇)年十一月三選されても復興しないアメリカ経済に苦慮していた。早くから大戦の勃発を予期していたルーズベルトは、昭和十四年には、米英連合の対独参戦を決断していたが、米国民の反戦意志に行き詰まっていた。米国の戦争準備『勝利の計画』と英国・中国への軍事援助を粛々と推進していたルーズベルトに残された道は、資源に乏しい日本を、禁輸で追い詰めて開戦を強要することであった。そして、参戦によってアメリカ経済は完全に復興した>
たしかにアメリカの世論は必ずしも日本に好戦的ではなかったというのは事実である。しかし日本の参戦をアメリカの禁輸措置のせいにする論調はいただけない。その前に、日本のアジア侵略という事実がある。日本の露骨な軍国的植民地覇権主義が、列強による経済的制裁を生みだしたわけだ。
さらにルーズベルト大統領が「資源に乏しい日本を、禁輸で追い詰めて開戦を強要」したというというのは、一見ありそうな話だが根拠に乏しい。A級戦犯を英霊として祀っている靖国神社がこれを支持するのは、日本の戦争指導者の責任をあいまいにするためだろう。
戦略としてもう一つの大きな誤りは、軍艦ばかりに攻撃を集中して、すぐそのとなりにあった450万バレルの重油を貯蔵した石油タンクと海軍工廠を爆撃しなかったことだ。日本軍がこれをしていれば、アメリカ太平洋艦隊が立ち直るのに相当時間がかかっただろう。ミッドウエーでの敗戦もありえなかった。
それではなぜ、これをしなかったのか。masaさんが以前に紹介してくださったHP(アドレス後記)の文章から引用させていただこう。
<1941年12月8日、第一航空艦隊は真珠湾を空襲し、真珠湾にいなかった空母を除くUSA太平洋艦隊をほとんど全滅させる大戦果をあげた。問題なのはこの先である。第二戦隊指令の山口は、石油タンクや海軍工廠などが無事だとの報告を受け、すぐに第三次攻撃隊の準備を完了させ、そのことを信号旗で旗艦「赤城」にいる南雲司令官に知らせた。しかし南雲中将はそれを無視して退却した。
理由は、USAの空母がどこにいるか分からないのに危険を冒すことは出来ないという事である。「武士の情けだ」とのたまわった、などという訳の分からない逸話も伝わっている。真珠湾攻撃の二カ月前に戦艦「長門」の上での図上会議の時、空母「蒼龍」艦長の山口多門は燃料タンクと修理施設への第三次攻撃を主張したのだが、機動部隊司令官の南雲忠一中将はその進言を無視したと言う。先にも書いたように南雲中将ははじめから真珠湾攻撃には消極的な軍人?だった。
しかしこの時、450万バレルの重油を貯蔵した石油タンクと海軍工廠を爆撃していたらどうだったろうか。そうすれば、ニミッツ提督自身が書いているように、数カ月にわたって、アメリカ海軍は太平洋での作戦を行うことは不可能だったろう。当然、1942年4月18日の東京空襲は生じない。ミッドウェー海戦をする必要もなく、USAの太平洋艦隊は壊滅しており、空母も石油がなくて動けないのだから、ハワイの占領も難しくなかったであろう。
しかし、現実には、450万バレルの重油を貯蔵した石油タンクと海軍工廠は無事であった。そのため、東京空襲が起き、敵の空母を叩くことを主目的に、ミッドウェー攻撃が計画される。敵の空母を叩くことが主目的であるという事さえ、南雲中将には理解できなかったようだ。
南雲中将は、1942年6月6日、第一航空艦隊司令官としてミッドウェー海戦を指揮する。しかし作戦内容がUSAに事前に察知されており、また攻撃機の半数は雷装で待機させよという連合艦隊の命令に反して武装転換命令をたびたび行い、陸上装備のまま敵空母戦力を攻撃し、空母の甲板を叩くべきだという山口多聞の進言も退ける。
その結果は以前に「猛将山口多聞」に書いたとおりである。兵装転換中のところをUSAの急降下爆撃機によって叩かれ、出撃した空母を全て失い、100名以上の第一線パイロットを失った。責任をうやむやにする海軍省の人事で降格等はされなかった。このあたりは、現在の官僚組織と全く同じである>
真珠湾攻撃が戦略的にも戦術的にも失敗だった理由をもう一つあげるとすれば、南雲のような愚かな将軍を英雄に仕立ててしまったことだろう。これによって日本の世論はみせかけの「大戦果」に惑わされ、一気に好戦的になる。国民が真珠湾攻撃の失敗を知り(今でも成功だと信じているひともいる)、南雲の愚将であることを知るのは敗戦後だった。
(参考サイト) http://1katutanuki.cocolog-nifty.com/blog/cat3971908/ http://www.jmca.net/booky/watanabe/012.html
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