橋本裕の日記
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| 2005年12月01日(木) |
昭和へタイムトラベル |
いよいよ平成17年もあと一ケ月を残すばかりになった。まだ一年を振り返るのは早いので、今日は一昔前の昭和時代のことを振り返ろう。
昭和16年12月1日、御前会議で「対米英蘭開戦」を正式に決定している。12月8日に真珠湾攻撃があり、戦争がはじまった。そして昭和20年8月15日の敗戦の日を迎えるわけだ。この間、3年と8ヶ月、太平洋戦争が続いた。
今日はタイムトンネルをくぐって、63年前の昭和17年12月1日の日本にタイムトラベルしてみよう。太平洋戦争が始まって約1年を経過して、日本国内の雰囲気はどうだったのだろうか。
2月15日にシンガポールが陥落したときには、日本国中が提灯行列でわきあがった。しかし、6月5日にミッドウエー海戦で日本は大敗を喫した。8月7日には米軍がガダルカナル島に上陸している。
日本は南方の資源、とくに石油を必要としていた。しかし、海上支配権を米海軍に押さえられ、資源を本国に運ぶことができない。11月に入ると国内の石油が不足しがちになっていた。「石油の一滴は血の一滴」という標語が生まれている。こうしたなかで、人々はゲートル巻でバケツリレーの訓練にいそしんでいた。
ヒットラーの「我が闘争」が出版され、日本文学報告会が11月に「愛国百人一首」なるものを出版し、生活全般が軍事色に染まり、街角には「欲しがりません勝つまでは」の標語が氾濫していた。軍神がつくられ、「空の新兵」という映画や歌が流行したのもこの頃である。
藍より蒼き 大空に 大空に たちまち開く 百千の 真白きバラの 花模様 見よ落下傘 空に降り 見よ落下傘 空を征(ゆ)く 見よ落下傘 空を征(ゆ)く
一方、物資の供給の途絶えたガダルカナル島のジャングルの中では何万という日本兵が飢えとマラリアや赤痢に苦しんでいた。ガダルカナル島は「餓島」とよばれたが、日本軍死者2万4千名のうち、餓死・病死が1万5千名にものぼっている。
今日の日本は過食と飽食の時代である。この10年間で小学生の肥満は1.5倍も増えており、小学生の3,4年生の女児の5人に一人は高脂血症だという。毎日何百万食分もの残飯が出るほど平和で豊かな現在の日本を、異国の戦場で餓えとマラリアに苛まれて死んでいった人々は想像もできなかっただろう。
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