橋本裕の日記
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2005年11月28日(月) 愛犬死す

 昨日午後2時頃、名古屋の妻の実家から「リリオが死んだ」という電話があった。私と妻と次女でさっそくかけつけた。リリオというのはわが家の愛犬の名前である。マルチーズの雄で、わが家で15年ほど飼っていた。そのあと、この1年間は妻の実家にいた。

 リリオは仏壇の前に寝かされていた。愛用の胴着を着たまま、目を開けて死んでいた。体にさわってみるとまだ温もりが残っていた。耳がピンと立っている。私たちの会話に耳を立てているようである。

 去年の10月に、義父が目の手術をして入院した。そのときリリオを連れていくと、義母が「入院中は一人で寂しいのでリリオをあずからしてくれ」という。リリオも義母が大好きで、ぴったりくっついている。そこで、リリオをしばらく預けることにした。

 その後、何度かリリオを引き取ろうとしたが、義母も愛着があり、リリオもすっかり義母に馴れてしまって、家に帰りたいという素振りを見せない。そこで、義母が面倒を見ることが出来る間は預けて置こうということになった。

 リリオは心臓が悪く、もうだいぶん前から薬を飲んでいた。医者からは毎年冬になると、「この冬が越せるかどうか」と言われていたが、去年の冬も妻の実家で持ちこたえた。義母はリリオの為にエアコンを買い、冬の暖房にはとくに気を使ったようだ。

 妻の実家でリリオは特別に大切にされ、可愛がられた。体の具合が少しでも悪くなると、昵懇にしている近所の獣医さんに診て貰い、手厚い治療を受けていた。昨日も咳がするというので、獣医に行って、注射をしてもらったばかりだったという。

 獣医から帰り、お昼になると餌を食べた。そして水を飲んでいるとき、心臓の具合が悪くなり、急死したのだという。そんなに苦しまずに、あっけない死に方だった。たしかに死顔を見ても苦しんだ様子はない。

「御飯を食べてくれたので、しばらく腹が空かないだろう。水ものんでくれた。それでも長い旅だから、腹が空くかも知れない。視力が落ちていたから、三途の河原を迷わずに無事に行けるだろうか……」

 義母はそんなことを言い、泣いていた。妻も泣いている。義母はリリオのためにお経をあげたらしい。私は指先でリリオの眼を閉じたが、しばらくするとまた開いてきた。義母も閉じてやったがすぐに開いてしまうのだという。耳を立て、目を開けた様子は、まるで生きているようにも見える。そして私の方を見ている。

 リリオが生後まもなく家に着たとき、長女は小学校の2年生で、次女はまだ幼稚園だった。その後16年間も家族の一員だったリリオには色々な思い出が寄り添っている。走馬燈のようにいろいろな情景が思い出される。

 私が生前のリリオを最後に見たのは、4ケ月ほど前、2日間ほどわが家にかえって来たときだった。私はリリオを連れてさっそく散歩に出た。散歩が大好きな犬だった。私も散歩が大好きでいつも歩いている。しかしもはや、リリオと一緒に歩くことは永遠にないのだ。そう思うと切ない思いが押し寄せてくる。

 4ヶ月前に、リリオが一時帰宅したとき写した写真が残っている。うずらのハル子にお菓子をやっていると、リリオが近づいてきて、そのようすをじっとみている。ハル子もリリオには怯えない。その様子を娘が携帯のカメラで撮した写真だ。
http://home.owari.ne.jp/~fukuzawa/ruruo.htm

 リリオを妻の実家から引き取り、一宮の家に帰ると、リリオが愛用していた毛布と一緒に彼が生前寝床として使っていたダンポールの箱に入れた。昨夜はそれをお通夜ということで居間に置いた。

 今日は妻と二人で近所の焼き場にもって行っていくつもりだ。形見の品をわが家の庭に埋めて、小さな墓標でも建ててやろうと思う。


橋本裕 |MAILHomePage

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