橋本裕の日記
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2005年11月21日(月) 私のインチキ透視術

 もし、突然透視能力が恵まれたら、人生はどんな風にかわるだろう。こんな能力があると、学校の教師はやっていられないかも知れない。なにしろ教室には可愛い女の子がいっぱいだ。職員室にも独身の女教師がいる。これでは気分が散って、教材研究もできないし、授業にも集中できないだろう。

 教師は失業するかも知れないが、これを武器に手品師になり世界中で公演して、大儲けできるかもしれない。私も数年前だが、100円ショップで「透視箱」という手品を手に入れて、家族や生徒、友人たちにパフォーマンスして手品師の気分を味わった。たとえばこんな風である。

「先生はね、実はこれまで秘密にしていたんだが、透視能力があるんだよ」
「そんなの嘘に決まっているじゃん」
「それじゃ、ひとつ証明してやろう」

 そう言って私はやおらポケットから魔法の箱を取り出す。プラスチックの円筒形の箱の中にはサイコロが入っている。そのサイコロの面に「笑った顔」「怒った顔」「泣顔」の三種類の表情をした顔の絵がはりつけてある。

 生徒にそれらを渡し、私に見えないようにしてサイコロを箱の中にしまわせる。私は箱を受け取り、指先で箱の上面を撫でながら呪文を唱え、「見えてきた、見えてきた」と思わせぶりなセリフをはく。そして、「泣顔が見えてきたぞ」と言ってみんなの前で箱をあける。ときどき間違うことがあるが、たいてい合っている。

「どうだ、すごいだろう」
「うん、すごいね」
「しかし、もちろん、先生は透視能力なんかあるわけがない。これには仕掛けがあるんだ。その仕掛けを見破ってほしい。どうだ、だれか分からないか」

 生徒たちは箱とサイコロを手に取り、考える。箱の中に入れて、私がやったように指先でなで回している生徒もいる。クラスによってはだれも分からないこともあるが、30人もいるとたいてい一人か二人はトリックを見破る。職員室でもこれを実演したが、何人かの先生がこのトリックを見破った。

 実は、サイコロは完全な正六面体ではない。つまり微妙に厚みが違っている。笑い顔の時はびったり箱に収まるが、泣いていたり、怒っているときは、箱の蓋がほんのわずかだけ持ち上がる。この僅かな違いを箱を受け取った瞬間、指先に神経を集中してその感触から読みとるわけだ。仕掛けがわかると、みんな「何だ、そんなことか」といういう顔をする。

 サイコロが完全な正六面体でないとは見た目ではわからない。そして、たいてい私たちはそれを正六面体だと思い込んでいる。トリックを見破った人は、これに疑問を持ち、箱の中で入れ替えてみて観察する。

 その違いはほんの僅かだが、少し練習すれば人間の指先はこの微妙な違いを感知できる。私のかっての同僚は、藁半紙の束を渡すと、「32枚ほどあるね」と即座に答えることができた。そして誤差がいつも1、2枚程度しかない。こんなことも少し訓練すればできるのだという。人間の能力はバカにはできない。


橋本裕 |MAILHomePage

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