橋本裕の日記
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2005年11月19日(土) 対話のたのしみ

 昨日は午後から出張だった。しかし、ネットで知り合った斎藤さんと会うため、八時過ぎに家を出た。出がけに白い運動帽をかぶると、妻が季節外れで目立つからよしなさい、まるでテニスに行くようだ、別の黒い帽子をかぶりなさい、という。

「だめだよ。面識のない人と会うのだから、目立つ格好でいかなければならないんだ。白い運動帽を被っていくことになっているんだ」
「だったら、会うときだけ被ればいいでしょう」

 妻に言われて、それもそうだと思い直し、帽子を鞄に入れた。10時頃にテレビ塔の近くにきて白い帽子を被ると、体格のがっちりした40年輩の男性がにこにこしながら、「橋本さんですか」と近づいてきた。こちらも一目で斎藤さんだとわかった。色が浅黒く、精悍な感じである。それでいて目がやさしかった。

  戦争の最中に、沖縄から本土に疎開する児童たちを載せたままアメリカの潜水艦に沈没させられた対馬丸という船がある。これによって1000人以上の人命が失われた。斎藤さんはこれを題材に「銀の鈴」という台本を書き、劇団ARKで上演した。

 斎藤さんは沖縄のことを検索していて、私のHPを知ったのだという。それから何度か掲示板でやりとりをした。いつかお会いすることもあるだろうと思っていたが、たまたま斎藤さんが名古屋に出張してみえたので、お互いの時間の隙間を見つけてお会いすることができた。

 喫茶店でコーヒーを飲んだり、レストランでランチを食べたりしながら、2時間ほどお話しした。演劇のことが中心だった。「銀の鈴」を書くのに、対馬丸で生き残った人から、その後の苦労話も聞いたという。戦争体験は生き残った人にも過酷だった。

 斎藤さんは最近起こった静岡の少女による母親毒殺未遂事件にも興味を持っていて、これらを題材にシナリオを準備中だという。これはとても興味がある。どんなシナリオになるのか是非読みたいし、劇も見たいものだと思った。ちなみに斎藤さんは山田一彦というペンネームでシナリオを書いている。

 2時間ほどの対談だったが、話題は戦死された叔父さんのことや、戦争論、教育論、シェークスピアやドストエフスキーにまで及び、話はつきなかった。もう少し時間をとって再びゆっくりお会いしたいものだと思った。 

(参考サイト)
劇団ARK  http://cat-5.hp.infoseek.co.jp/


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