橋本裕の日記
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小さい頃、よく動物をいじめた。猫を空に放り上げて、泣き叫ぶのを見て面白がった。カエルを石に叩きつけたり、トンボの目玉をくりぬいたり、蠅の頭をちぎったりした。とくに私が熱中したのは、採集した昆虫に毒液を注射することだった。学校ではカエルやフナの解剖もしたが、これも面白かった。
現在の私は蟻一匹殺すことはできないし、まちがって踏みつけたりすると、じつにいやな気持になる。いのちあるものは何であれ、他人が虐げたり、殺したりするのを見ると腹が立つ。戦争映画や暴力シーンを売り物にしている映画は見る気がしない。
これは私の心がまっとうに成長したからだ。長年の教育によって心が次第に発達し、私の中にヒューマンな感情が育ち、醸成されていった結果である。現在の私は他者の命を尊び、これを慈しむことに大きな価値と喜びを見いだしている。
心の中にこうした他者を慈しむゆたかな感情を育てることが大切である。そのためには、私たちはよき教育を受けて、よき人生体験をしなければならない。学校や家庭でよき学習をしなければならない。心にたくさんの栄養を与えなければならない。そのための社会環境も大切である。
もし大人こうした配慮を怠ったらどうなるか。子供たちは自らの心を育てることがむつかしくなるだろう。知識が蓄積され、体力は大人並に成長しても、心はいつまでも未熟で貧弱なままである。心が成長せず、狭いままでは、他者の痛みをわがわが痛みと感じ、他者のよろこびを自らの喜びとすることはできない。
そうした心の成長不良をおもわせる事件が毎日のように報道されている。今話題になっている静岡県伊豆の16歳の女子高校生による母親毒殺未遂事件もその一つだろう。彼女は母親に酢酸タリウムを飲ませ続け、苦しみながら衰弱していくありさまを、冷静に観察し、ブログで公開していた。彼女はブログでは自分を「僕」とよび、男性を装っていた。
<生き物を殺すという事、何かにナイフを突き立てる瞬間、柔らかな肉を引き裂く感触、生暖かい血の温度、漏れる吐息、すべてが僕を慰めてくれる>(9/3)
少女は母親に毒を飲ませる前にも、さまざまな動物をつかって生体実験をしていた。彼女の部屋には猫の首など、解剖した動物たちの体の一部がガラスの容器にいれて置いてあったという。同居していた兄がこうしたことをいぶかしく思っていた。
<兄は此を見ている。訪問者記録に残っている。挙動から分かる。それとなく臭わせている。どうぞごゆっくり、お客様>(8/15)
<隠れる事は喜びでありながら、見つけられない事は苦痛である。見つけられることは危険である。しかし自分が存在していることを確認するためには、だれかに見つけられるしかない>(9/27)
兄は同じ家に住み、母親が正体不明の病気で苦しむ様子を不審に思い、少女に疑いを持っていた。彼女のブログを読んで、妹の犯行を確信したようだ。少女は兄の告発で逮捕された。少女は逮捕されてからも、捜査員を「おまえ」呼ばわりしているようだ。
少女は有名進学校にかよい、成績も優秀だったという。しかし、彼女が心酔していたのはイギリスの殺人鬼であり、彼女の愛読書は彼が書いた「クレアム・ヤング毒殺日記」という本だった。
ヤングは1962年に14歳で継母を毒殺したのを皮切りに、父親、姉、同級生などを次々と殺したことで有名な殺人鬼である。少女はこれを読んで、母親を毒殺することを思いついたようだ。
近所の人たちからは仲の良い一家とみられ、少女は母親と肩を並べて買い物に行っていたという。しかし、この少女の心の中には、大切なものが育っていなかった。頭脳は優秀かも知れないが、こころが成長していなかったのである。
彼女は一躍世間の注目を浴びることで、望み通り自分がこの世に存在していることを証明したと思っているのだろう。しかし、そうしてマスメディアに取り上げられ、有名になることでしか自分の存在が確認できないというのは、むしろ自己の不在を証明している。
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