橋本裕の日記
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セブ留学を前にして、デジタルカメラを買った。これでセブの街の様子や人々を写すつもりだった。そしてHPに「セブ写真館」を開設しようと思った。とくに私が撮りたかったのは、子供たちの表情である。
ところがデジタルカメラはすぐに作動しなくなった。電池を入れ替えたが反応がないので、故障したのだと思ってあきらめた。実はセブに来てすぐに私はカメラを路上で落としている。これが原因で壊れたと思い込んでしまった。
実際はセブを離れる前日になって電池切れだったことが分かった。日本からもってきた交換用の電池がすでに使い古しの電池だったのだ。こうした不手際のため「セブ写真館」開設は夢と消えたが、そのかわり私は肉眼で見たものを脳裏にしっかり刻み込み、記憶しようと心がけた。今も目を閉じればさまざまなシーンがあざやかに蘇ってくる。
9月のセブは雨季だったが、晴れの日が多かった。ただ、毎日のように短期間の降雨があった。学校からの帰り、バスの車窓から外を見ていると、にわか雨になった。そうすると家の中から子供たちが裸で走り出してきた。何のことはない天然シャワーである。こうした光景は何だか見ていてほほえましかった。カメラがあればシャッターを押していただろう。
革靴を穿いて街を歩いていると、子供たちが手を差し出してよってきた。上半身裸の貧しい少年や少女たちだった。私は「I have no money.」と言って何も与えなかったが、子供たちがよってくるのは私が一見して地元の人々よりもいい身なりをしていたからだ。
そこで安物のアロハシャツとサンダルを買った。長ズボンは止めて、パジャマ用にもってきた使い古しの半ズボンを穿いて外を歩いた。日本ではとてもできない服装だったが、これでようやく現地に溶け込むことができた。
ラフな服装になれると、これがかえって居心地がよくなり、学校にもこのスタイルで通った。服装を替えると、心も変わるのか、とても自由で開放的な気持になった。他人と自分の垣根が取り払われたようで、人あたりもよくなり、表情もやわらかくなったようだ。これでまた多くの友人を得ることができた。
CILSでは各教室の先生の他に、アドバイサーの教師がついた。私のアドバイサー教師はジェニリンという独身のフイリピン女性で、小柄な可愛い人だった。ある日、プールのある中庭を歩いていると、むこうからジェニリンが「Hi、Shin」とにこやかに近づいてきた。
私は咄嗟に名前が出てこなかったので、「Oh My Daughter」と言って、彼女を胸の中に抱き寄せた。他の学生達が見守る中で、少し大胆だったが、気恥ずかしくもなくこんなスキンシップが自然にできた。日本でこれをすればセクハラだろう。しかしジェニリンともこれで余計に親密になることができた。
あるときジェニリンは私にアメリカ人の白人の先生を紹介してくれた。「Nice to meet you」という型通りの挨拶の後、私は彼の巨体を眺めながら、「You are very big」と感嘆したように言った。ジェニリンは、「Shin, he is very powerful」といった。それから私も「powerful」という言葉をよく使うようになった。
最後の授業が終わった後、私はジェニリンの部屋を訪れ、お別れに折り鶴をひとつプレゼントした。「この鳥がきっと君に幸せを運んでくれるよ」と言うと、ジェニリンはとても喜んで私のささやかなプレゼントを受け取ってくれた。クリスマスになったら日本にメールを送りたいというので、私のメールの住所を教えた。
もしセブ写真館ができていたら、当然ジェニリンの写真も紹介できたはずだ。ジェニーやコリーン、それにオーストラリア人教師のレベッカもとてもフレンドリーで気立てのよい美しい女性だった。
それからCPILSで知り合った韓国や日本人の学生たち。ゆみ、あずみ、よしみ、アンジェラ、ペトリ、みんなとてもやさしい表情をしていた。彼らの笑顔はセブ留学の記念として、私の心の写真館に飾ってある。
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