橋本裕の日記
DiaryINDEXpastwill


2005年10月18日(火) 天災に対する備え

 台風や震災などの自然災害が世界中で頻発している。北パキスタンで起こった地震では3万人以上の犠牲者が出るのではないかといわれている。発生後、ニュースはすぐに世界に発信された。

 パキスタンはまだまだ発展途上の貧しい国だが、原爆を保有する大国である。ニュースの映像で見る限り、有効な救護活動がおこなわれたのかどうか疑問である。国や国際社会の救援活動の遅れも、こうした災害の被害を大きくしている。

 8月末にアメリカ合衆国南東部を襲ったハリケーン・カトリーナはニューオリンズの8割を水没させ、たくさんの犠牲者を出した。これについてもテレビで見たが、多くの被災者が孤立無援のまま放置されるなど、信じられないことが起こっていた。ビル・トッテンさんはこれは天災ではなく人災だとして、「温故知新」で、こう書いている。

<二〇〇二年、ニューオリンズの新聞はもし大きなハリケーンがきたら同市の約十万人の車を持たない貧困層の住民が特に危険にさらされると警告した。二〇〇〇年の米国の国勢調査によると同市の海面より低い地区に住む住民の36・4%は貧困層であった。米国の貧困層の定義は、四人家族で年収が一万九千三百七ドル(約二百十万円)、二人家族で一万二千三百三十四ドル(百三十五万円)以下である。

 もし日本で公共の交通機関や国民健康保険がなければ、四人家族で二百十万円の年収で暮らすことができるだろうか。または日本にはそれに相当する人々はどれくらいいるのだろうか。米国には三千七百万人、人口の12・7%が貧困層以下で暮らしており、カトリーナの犠牲者もほとんどがそうであった。

 ハリケーン直撃の翌日ブッシュはゴルフをしていた。テレビに出たのは三日後、被災地訪問は五日後だった。米国の各州に自衛隊のようなナショナルガードと呼ばれる州兵がいて国内の緊急時に人々を保護し、支援することを使命としている。しかしルイジアナとミシシッピの兵士の三分の一はイラクへ派兵されていた。

 少ない兵士による援助の中心も、貧困層の命を救うことではなく富裕層の家屋を守ることだった。そして治安が悪化すると、知事は略奪や暴力に加わった人を射殺するよう州兵に命じたという。イラクという戦場から戻った州兵は、ルイジアナ州で階級戦争という新たな戦闘に参加したのである。州兵のほとんどは貧しい階層の出身者である。つまり州兵は自分の国で、自分たちの仲間に対して銃を向けることになったのである>

 実はカトリーナに負けないくらいの大型ハリケーンが去年の9月にキューバを直撃している。過去半世紀で最大だというこのハリケーンにそなえて、1500万人以上の国民が高地に非難した。このため、二万所帯が破壊されたが、死者は一人も出なかったという。もちろん、略奪や暴力、放火もなく、戒厳令が出ることもなかった。これについて、ビル・トッテンさんはこう書いている。

<キューバは綿密に計画された避難警告システムを持ち、地域住民の避難に際して誰が手助けがいるのかが明記された資料があり、避難シェルターには近隣のかかりつけの医師が配置され、例えば誰がインシュリンを必要としているのかといった情報まで配布されていた。医師であってもわれ先にと自分の車で安全なホテルへ避難するのではなく、近所の人々と一緒にシェルターへ移動するのがキューバ流のやり方だったのだ。

 ハリケーンや地震のような自然災害は個人ではどうすることもできない。豊かで自由な市場経済でありながら多くの死者を出した米国と、その米国に経済制裁を科せられている貧しいキューバの状況は、自然災害の多い日本でわれわれがどちらの道を選択したいか、選択すべきかを考えるよい事例である。・・・

 地震や台風がくれば自分の家だけでなく高齢者を気遣う、そのような行動は今日、明日で身に付くものではない。祖父母や両親の姿を見て、そのDNAの中に助け合いや共存共栄が染み込んでいたのが少し前の日本人だったように思う。よく「島国根性」などといって悪い面ばかりを指摘するが、米国についてはすべてを美化し、悪い部分を見ないようにしていることに気付くべきである>

<今回の米国のハリケーンで露呈したことは、国を動かしている一部の富裕層が政治家をも動かして自分たちの利益になるように奉仕させているということである。一般の国民を支援するためには税金を使わせたくない、だから社会投資はなるべく少なくする。富裕層は金があるから国に頼らなくても自分を守ることができるから公共交通機関のような社会インフラなど米国には不要なのだ。

 それだけではない。自分の子弟は私立に行かせるので公立学校への予算削減を主張する。高額な民間の保険に入れる自分たちには国が提供するメディケアなどの国民健康保険もなくしたい。民間のガードマンを雇えるから警察さえ少なくしようとしているのが米国である。

 こうしてすべてを民営化、私有化して社会投資を少なくしたい。社会的弱者に使われるお金はなるべく少なくしたい。避難命令を出したのだから、被災したのは自己責任だというのが米国政府の基本態度である。おそらく今ブッシュ政権がもくろんでいるのは被災地の復興作業でどうやって企業をもうけさせるかであろう。小さい政府、民営化、自己責任の社会。それが日本があがめる米国である>

 ニューオリンズはその大部分が海面下にある。そこで人々は堤防を築き、海と市街地を隔てる湿地帯を守ることで災害に備えてきた。しかし、政府はテロ対策、イラク戦争に資金をまわし、ハリケーン対策である堤防建築の予算を44%も削減した。そして、企業が湿地帯の大部分を破壊し、貪欲な利益追及をすることを許した。

 政府は避難勧告を出したが、鉄道などの公共交通機関は存在せず、しかも車も持たない多くの貧しい人々にとって、避難勧告はどれほどの効果ももたなかった。こうして多くの住民が危険地帯に取り残され、何千人という人命が奪われることになった。ハリケーンはこうして超大国アメリカの意外なもろさを世界に認識させた。

 少し前まで、日本でもちまたには「民営化」や「自己責任」のスローガンがあふれていた。私は国民を幸せにする「民営化」にも「自己責任」にも賛成である。しかし、アメリカ型の金持ち優先の「民営化」や「自己責任」には反対だ。それがどんな殺伐とした社会をもたらすか、アメリカを見ればよい。

 私が幼い頃地震があったとき、となりのおじさんがパンツ一枚でわが家に飛び込んできた。グラリときて、咄嗟に思い浮かんだのが、隣の家の幼い子供たちだったのだ。当時日本はまだ貧しかったが、人と人が助け合って生きていた。そうした心の通じ合いが、防災の基本ではないだろうか。

 こうした人と人の繋がりを大切に育てていきたい。災害に対する最大の備えは地域の人々の心の和だと思うからだ。地域の住民が心を許しあって暮らせる社会、そうした本当の意味でゆたかな社会をつくるために、そもそも政治があり、政府が存在するのである。


橋本裕 |MAILHomePage

My追加