橋本裕の日記
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2005年10月16日(日) 我が屍は野に捨てよ

 昨日はナディアパークにある名古屋市青少年文化センターに観劇に行ってきた。演劇グループ紙ふうせんの第八回公演である。友人の工藤さんが出演しているので、私は毎年この公演を見るのをたのしみにしている。

 今回は一遍上人の生涯を描いた「我が屍は野に捨てよ」という題目である。まずはパンフレットからそのあらすじを紹介文しよう。

<時は鎌倉時代、古い支配者(公家政権)が新しい支配者(武家政権)へと移行していった時代。一遍はそうした時代背景の中で生まれ育ち、生きたのでした。

 物語は一遍の33歳から、死の床に就く52歳までの人生を断片的に描きながら、一遍上人という一僧侶のストイックなまでの生き方、情熱、揺れ動く心や堅固な信念などにスポットを当てています>

 娘や妻を伴って、九州から東北まで全国を遊行して歩いた一遍上人。彼は結社を否定し、教団を残そうとはしなかった。著作さえ残していない。「葬儀はするな。屍は野に捨てよ」というのが彼の臨終の言葉だった。それでも彼についてはたくさんの逸話が残されている。岩波文庫の「一遍上人語録」から引用しよう。

<夫れ、念佛の行者用心のこと、示すべき由承り候。南無阿彌陀佛と申す外さらに用心もなく、此外に又示すべき安心もなし。諸々の智者達の樣々に立てをかるる法要どもの侍るも、皆誘惑に對したる假初の要文なり。されば念佛の行者は、かやうの事をも打ち捨てて念佛すべし。

 むかし、空也上人へ、ある人、念佛はいかが申すべきやと問ひければ、「捨ててこそ」とばかりにて、なにとも仰せられずと、西行法師の「撰集抄」に載せられたり。是れ誠に金言なり。念佛の行者は智慧をも愚癡をも捨て、善惡の境界をも捨て、貴賤高下の道理をも捨て、地獄をおそるる心をも捨て、極樂を願ふ心をも捨て、又諸宗の悟をも捨て、一切の事を捨てて申す念佛こそ、彌陀超世の本願に尤もかなひ候へ。

 かやうに打ちあげ打ちあげ唱ふれば、佛もなく我もなく、まして此内に兎角の道理もなし。善惡の境界、皆淨土なり。外に求むべからず。厭ふべからず。よろづ生きとし生けるもの、山河草木、吹く風、立つ浪の音までも、念佛ならずといふことなし。

 人ばかり超世の願に預るにあらず。またかくの如く愚老が申す事も意得にくく候はば、意得にくきにまかせて、愚老が申す事をも打ち捨て、何ともかともあてがひはからずして、本願に任せて念佛し給ふべし。

 念佛は安心して申すも、安心せずして申すも、他力超世の本願にたがふ事なし。彌陀の本願には缺けたる事もなく、餘れる事もなし。此外にさのみ何事をか用心して申すべき。ただ愚なる者の心に立ちかへりて念佛し給ふべし。南無阿彌陀佛>

 この中で、とくに私の好きなのが、「よろづ生きとし生けるもの、山河草木、吹く風、立つ浪の音までも、念佛ならずといふことなし」という言葉だ。これは実に美しい言葉だ。そしてじつにさわやかで深い宗教の境地ではないかと思う。私の好きな一遍上人のこの言葉は、劇の中でも使われていた。

 この劇で主役の一遍上人を力演していたのが、友人の工藤さんだった。工藤さんはカソリックの信者だが、昔一緒に仏教の市民講座に参加したこともある。良寛の本をプレゼントしたこともある。仏教にも深い関心を持っていたので、当たり役といえる。はじめての主役だったが、どっしりとした演技に渋みをまして、なかなかいい味を出していた。

 それにしても長いセリフである。60歳を超え、しかも腎臓を患い透析を受けながら、よくこの大役を演じたものだ。毎年、夏か秋に一緒に旅をしていたが、今年はまだ誘いがかからない。恐らく、セリフを覚えるのが大変で、それどころではなかったのだろう。公演が終わった後、彼と握手をして、「すばらしかったよ」と声を掛けた。

 ホールは満員だったが、そのなかに何人もの知人がいた。とくに私が所属していた「作家」の旧同人の人たちが多く、久しぶりに言葉を交わしてなつかしかった。じつはこの劇の作者が作家の同人だった桑原恭子さんである。私にとって幾重にも縁の深い公演だった。

 公演のあと、久しぶりに再会を祝して、作家の同人時代親しくしていた人たちと食事に行った。文学や宗教、そして恋愛について話題が盛り上がり、私も執筆中の短編小説の話をするなど、創作意欲を大いに刺激された。休日は夕食抜きという原則がまたもや破られたが、稔りの多い一日だった。


橋本裕 |MAILHomePage

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