橋本裕の日記
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学校の文化祭でいつかやってみたいと思っている出し物がある。木下順二の「夕鶴」である。じつは私がセブで「The story of a beautiful crane」を書いたときも、念頭にあったのはこの戯曲である。「夕鶴」はこんな出だしで始まっている。
<一面の雪の中に、ぽつんと一軒、小さなあばらや、家のうしろには、赤い赤い夕焼け空が一ぱいに・・・>
与ひょうは矢に射られて苦しんでいた鶴を助けた。その鶴が若い女のすがたをして家にやってくる。名前を「つう」という。彼女の織る布のおかげで与ひょうは金持ちになる。しかし、お金を手に入れた与ひょうはしだいに人間が変わってくる。つうはそんな与ひょうを見てかなしくてならない。
<与ひょう、あたしの大事な与ひょう。あんたはどうしたの? あんたはだんだん変わって行く。何だか分からないけれど、あたしとは別な世界の人間になって行ってしまう。あの、あたしには言葉も分からない人たち、いつかあたしを矢で射たような、あの恐ろしい人たちとおんなじになって行ってしまう。どうしたの? あんたは。どうすればいいの? あたしは。あたしは一体どうすればいいの>
与ひょうにはこのつうの気持が伝わらない。与ひょうの頭の中にあるのは「お金」のことばかりだ。昔はそんな人間ではなかった。しかし、今では世間の拝金主義者とかわらない。こうして与ひょうはどんどん遠い人になってく。
<それでもいいの、あたしは。あんたが「おかね」が好きなのなら。だから、その好きな「おかね」がもうたくさんあるのだから、あとはあんたと二人きりで、この小さなうちの中で、静かに楽しく暮らしたいのよ。あんただけはほかの人とは違う人。あたしの世界の人。だからこの広い野原のまん中で、そっと二人だけの世界を作って、畠を耕したり子供たちと遊んだりしながらいつまでも生きていきたかったのに・・・・だのに何だか、あんたはあたしから離れていく。だんだん遠くなって行く。どうしたらいいの? ほんとうにあたしはどうしたらいいの?>
金の亡者となり、与ひょうはますますつうから離れていく。「布を織れ。都さ行くだ。金儲けて来るだ」と迫る与ひょう。つうのかなしみは、ますます痛切なものになって行く。そして悲しみは絶望にかわる。
<分からない。あんたのいうことがなんにも分からない。さっきの人たちとおなじだわ。口の動くのが見えるだけ。声が聞こえるだけ。だけど何をいっているんだか・・・ああ、あんたは、あんたが、とうとうあんたがあの人たちの言葉を、あたしに分からない世界の言葉を話しだした・・・ああ、どうしよう。どうしよう。・・・ああ、だんだんあんたが遠くなっていく。遠くなっていく。小さくなっていく>
つうは最後に、二枚の布を織り上げると、「二枚のうち一枚だけは、あんた、大切に取っておいてね。そのつもりで、心を籠めて織ったんだから」とそれを与ひょうにわたす。そして、心の中で与ひょうに別れを告げる。
<与ひょう、あたしを忘れないでね。あたしもあんたを忘れない。ほんの短い間だったけれど、あんたの本当に清い愛情に包まれて、毎日子供たちと唄をうたって遊んだ日のことを、あたしは決して決して忘れないわ。どんなところへ行っても・・・・いつまでも>
つうを失った与ひょうは「つう・・・つう・・・」とつぶやき、そして言葉を失って立ちつくすしかない。愚かな与ひょう。しかし、私たちは与ひょうを笑うことができるだろうか。
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